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城跡に建つ神社・寺院
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城跡に建つ神社
 神社やお寺が建てられている場所は様々です。山の上だったり、川や湧水の傍だったり、はたまた街道筋だったりと、土地柄に合わせて建てられています。

 その中で城跡に立地しているケースが多々あります。そこにはお城や城主にまつわるエピソードがあるものも。そんな城跡に建つ神社やお寺をご紹介します。


山王日枝神社

 赤坂で最も有名な神社と言ったら、ここ山王日枝神社でしょう。恋愛、結婚、ビジネス、学業と数多くのご利益があります。永田町にも近いため、政治家の参拝も多いとか。

 そんな山王日枝神社ですが、城跡だということはあまり知られていません。元々は星ヶ岡城という城が建っていたようで、南北に伸びる舌状台地の上に築かれていたとのことです。この舌状台地という地形は、城を築くにはピッタリなんですよね。大阪城や江戸城、水戸城や沼田城、小田原城など数多くの名城に採用された地形で、天然の土塁や堀があるので工事個所が少なくて済むのと、平地もあるので建物や城下町を作るスペースも確保できるメリットがあります。

本丸=現キャピトルホテル東急

二の丸=山王日枝神社

三の丸=日比谷高校

の連郭式の城だったようですが、現在はほぼ伝承だけとなっており、詳細は不明だとか。ただ、日枝神社と日比谷高校との間にある切通しが、かつての星ヶ岡城の空堀の名残だそうです。


 その後、戦国時代前期の英傑太田道灌が江戸城を築城する際に、城内に日枝神社を勧進しました。そして、江戸幕府2代将軍徳川秀忠が江戸城外へ遷移させたものの、明暦の大火によって消失。時の将軍徳川家綱によって、星ヶ岡城二の丸跡地である現在地があてがわれたそうです。

 あとこれは余談ですが、山王日枝神社と言えばこんな写真映えする場所があります。


 千本鳥居です。都内には何ヵ所か千本鳥居がありますが、最も都心に近いのがここです。外国人にも知られているようで、観光客が多く訪れています。

【山王日枝神社】赤坂エリア

恐らく赤坂で最も有名で大きな神社。
日枝神社の神様の使いが猿で、猿は音読みで「エン」であることから、恋愛、結婚、ビジネスなど様々な良縁の御利益があるとされています。
さらに、境内にある千本鳥居はフォトジェニックなスポットとして人気!

金王八幡宮

 渋谷と言えば今は若い世代が集まる街としての性格が強く、最近では駅前再開発によって大きく様変わりしました。そんな渋谷の市街地にも神社はあります。それが金王八幡宮です。

 地名に谷の字があることからもわかる通り、渋谷は谷地になっています。現在の新宿御苑を水源地とする渋谷川が南北に流れることによって地面が削られ、川底部分が谷に、その両サイドが台地へと変化しました。宮益坂や道玄坂はその台地のへりにあたり、渋谷駅のところが最深部となっています。

 そんな渋谷駅から南東へ坂を登って少し歩いたところにあるのが金王八幡宮なのですが、ここがかつて城だったのです。その名もズバリ、渋谷城。


 渋谷川の本流と南北両サイドに流れていた支流によって、西南北三方が谷になっていて、これまた舌状台地という城を築くには丁度良い地形でした。

 そして、城主を務めていた一族の名も渋谷氏。その一門で猛者であったと伝わる渋谷金王丸の名にちなんで名づけられ、城内の鎮守として祀られたのが神社の始まりだそうです。

 戦国時代前期、関東進出を図っていた小田原城城主で後北条氏2代当主北条氏綱の軍勢によって攻められ、城は焼きはらわれることに。しかし、神社だけは残されることとなり、江戸時代には江戸幕府3代将軍徳川家光や乳母の春日局によって現在の社殿や神門が寄進され、今に至っています。

【金王八幡宮】渋谷エリア

渋谷氏の居城渋谷城の跡地に建つ神社。
江戸幕府3代将軍徳川家光や乳母の春日局から庇護を受ける。
当時の建物が現在も残り、江戸の繁栄を物語る歴史的建造物を見ることができる。

武田神社

 正確には城ではなく館ですが、日本百名城に数えられている神社として有名な武田神社です。この神社は、武田信玄の父である武田信虎が築いた躑躅ヶ崎館の跡地に建てられています。主祭神は戦国のスーパースターの一人武田信玄です。

 武田信玄といえば山梨県民にとって郷土の誇りで、機山(きざん)公の名でも親しまれています。風林火山の旗印を手に、戦国最強と謳われた騎馬隊を率いて、甲斐、信濃、駿河をはじめ、遠江、上野、飛騨などの一部にまで勢力を拡大し、戦国時代有数の勢力を築いた大名です。あの織田信長ですら直接対決は避け人質を送ろうとしたくらいですから、いかに戦が上手いかうかがえます。


 さらに信玄堤を築き治水に努め、領民の生活と収入を安定させたことでも知られ、今でも敬愛されています。だから武田神社は大正時代の創建と比較的新しい神社でありながら、初詣の参拝者数県内1位を誇っています。

 神社の境内とされているのは、旧躑躅ヶ崎館の主郭と西曲輪にあたる部分です。その中でも御館様である武田信玄の住まいのあった主郭部分に、全ての社殿が建てられています。西曲輪には、かつて藤村記念館(旧睦沢学校校舎)という明治時代に建てられた西洋風木造校舎が保存されていましたが、今は甲府駅北口前に移築されたので、空き地になっています。


 とはいえ土塁や石垣、堀などは現在でもほとんど取り壊されることもなく、比較的多く残っています。特に南側の堀は今でも水をたたえており、深さ幅ともかなりの規模で、ここがかつて城郭であったことを十分に伝えています。なので、戦国ファンにはたまらない場所であることは間違いないと思います。

【武田神社】甲府エリア

戦国最強と言われた武将武田信玄を祀る勝ち運の神社。
居館躑躅ヶ崎館の跡地に建ち、堀や石垣、土塁などの遺構を残す。
武田信玄にまつわる授与品が多く、戦国ファンに人気!

これ以外の城跡に建つ神社・寺院
【平塚神社】王子エリア

平安時代に建てられた平塚城跡地に建つ、源氏三兄弟の伝承を持つ神社。
太田道灌によって滅ぼされた武蔵国の豪族、豊島氏宗家終焉の地。
甲冑塚古墳(非公開)を境内に持つ。
【庄城稲荷神社】甲府エリア

甲府城跡である舞鶴城公園のお堀端に建つ神社。
元来は城内にあって、甲府城の守護神とされていた。
その後、戊辰戦争や太平洋戦争を乗り越えて現在地に遷座。
今は市民の憩いの場となったお城を見守る。
【田端神社】荻窪エリア

善福寺川の蛇行域を利用した成宗城跡地に建つ神社
築城者や経歴はほぼ不明の謎の城跡
かわいい御朱印が魅力的
【本願寺山科別院】山科エリア

西本願寺の系列にあたる浄土真宗本願寺派の寺院
山科本願寺のあった場所に規模を縮小して開山
戦国期には日蓮宗徒や六角氏と対立し要塞化

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