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戦国武将を祭る神社 [戻る]徳川家康を祭る国宝・世界遺産の日光東照宮 戦国武将を祭る神社と言われて最も思いつくのは、日光東照宮ではないでしょうか。江戸幕府初代将軍徳川家康(旧名:松平元康)を、東照大権現として神格化しています。日本各地に点在する東照宮の総本社でもあることから、奥には家康遺骸が納められているお墓があります。 社殿は三代将軍徳川家光によって造営され、かの有名な陽明門をはじめ、本殿や拝殿、左甚五郎が彫ったと伝わる「眠り猫」の像で有名な回廊や唐門が国宝に指定。「見ざる聞かざる言わざる」の三猿の彫り物で有名な神厩舎など、国の重要文化財も山ほど存在します。 さらに東照宮全体が世界文化遺産の「日光の社寺」の一つとして、ユネスコから認定されています。ちなみに、家光の霊廟である日光山輪王寺大猷院もこの世界遺産に登録されています。 その他の徳川家康を祭る神社 天下統一を果たした太閤豊臣秀吉を祭る豊国神社 戦国時代に天下統一を果たしたのは、太閤こと豊臣秀吉(旧名:木下藤吉郎、羽柴秀吉)。農民(半農半武?正確には出自不明)という最下層から出世し、最高官位である関白まで上り詰めたジャパニーズドリームを成し遂げた武将として有名ですね。 そんな豊臣秀吉を祭るのが豊国神社で、こちらも奥宮には霊廟があり、遺骸が埋葬されています。 ただ興味深いのは、この豊国神社の隣にひっそりと建つお寺です。そのお寺の鐘楼には似つかわしくないほど巨大な梵鐘が吊るされおり、漢文が記されているのですが、そこには白い線で囲まれた一節が。何やら「国家安康」「君臣豊楽」とありますね。 これは徳川家康が、豊臣秀吉の遺児豊臣秀頼に戦を仕掛ける口実として難癖をつけた方広寺の鐘です(方広寺梵鐘事件)。その結果起こった戦が大坂の陣(冬の陣)です。こんな理由で戦を仕掛けられた秀頼からしたら、たまったものではないですよね。 風林火山の旗の下、戦国最強と言わしめた武田信玄を祭る武田神社 それから戦国時代といったら外せないのが、武田信玄。兵法書孫子の一節からとった風林火山の旗を翻し、戦国最強とも謳われた戦国大名です。騎馬軍団に関しては異論がありますが、守護大名の出自と甲斐源氏宗家という超名門の家柄も当時から一目置かれる理由でした。 そんな武田信玄を祭るのが、武田神社です。 そんなに古い神社ではなく、創建は明治に入ってから。というのも、武田信玄に散々痛い目にあわされた徳川家康の意向により、江戸時代には武田信玄を神格化するのを固く禁じられていたからです。これが明治になって解禁になり、創建に至った訳です。 そしてせっかくなら信玄の住まいにと、居館であった躑躅ヶ崎館の跡地が選ばれました。なのでこの神社内には信玄の墓はなく、ここから歩いてすぐの所に埋葬されています。 その他の戦国武将を祭る神社 武田勝頼 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |