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勝ち運の神様、諏訪大社総まとめ [戻る]信濃國一之宮にして最強の勝ち運・諏訪大社総まとめ 長野県で最も有名にして最大の神社といえば、何と言っても 諏訪大社 境内が広く、参拝者数が多いのはもちろん、創建の古さでも日本最古級という何をとっても長野一。信濃國一之宮であるのはもっともです。 しかしこの諏訪大社、名前こそは一つですが、実際には4か所に分かれて建っており、その全てが総本社という扱いなのです。 そこで今回はそんな不思議な諏訪大社をまとめて紹介します。 【御由緒】 <諏訪大社概要> 創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる。 社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。 というのが、大体の概要です。そして、この諏訪大社はまず上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれており、さらに上社は前宮(まえみや)と本宮(ほんみや)、下社は春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)に分かれ、計二社四宮と数えられています。
上社前宮 <上社> 上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。下社に対しては上流の位置にあたる。 本宮・前宮からなり、下社と異なり二宮は古くは本社・摂社という関係であった。古来の神事(蛙狩神事・御頭祭・年中4度の御狩神事など)に見られるように狩猟民族的な性格を有している。 かつては本宮を主として上諏訪の中心地であったが、近世以後は北方の高島城城下町に移り、そちらに甲州街道の上諏訪宿も設けられた。 上社本宮には本殿が設けられていない。本宮の神体は現在守屋山と一般的に認識されているが、明治時代の始まりまでは諏訪明神こと建御名方神の「御正体」(依り代)とされた諏訪氏出身の大祝(おおほうり)が上社の神体ないし現人神として崇敬されていた。 <下社概要> 下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。 秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。 一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。 というのが、上社下社についてです。 ここからはそれぞれのお宮についてご紹介します。画像をタッチするとそれぞれのページへ飛びますので、詳細はそちらをご覧ください。 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |