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諏訪大社本宮 [戻る]武田信玄や有名力士の庇護を受ける大社 【住所】 長野県諏訪市中洲宮山1 【主祭神】建御名方神 【創建】 不詳 【例大祭】4月15日(御頭祭、酉の祭) 【末社】 大国主命社 高島神社 出早社 勅使殿 神馬舎 額堂など多数 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】御守り、お札、御朱印、御朱印帳、おみくじ、御柱箸など 【駐車場】南参道先に専用駐車場あり 【HP】 http://suwataisha.or.jp/index.html ※ 上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮と共通です。 ※ 動画が作動するため、音が鳴ります。 【御由緒】 <諏訪大社概要> 創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる。 社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。 <上社> 上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。下社に対しては上流の位置にあたる。 本宮・前宮からなり、下社と異なり二宮は古くは本社・摂社という関係であった。古来の神事(蛙狩神事・御頭祭・年中4度の御狩神事など)に見られるように狩猟民族的な性格を有している。 かつては本宮を主として上諏訪の中心地であったが、近世以後は北方の高島城城下町に移り、そちらに甲州街道の上諏訪宿も設けられた。 上社本宮には本殿が設けられていない。本宮の神体は現在守屋山と一般的に認識されているが、明治時代の始まりまでは諏訪明神こと建御名方神の「御正体」(依り代)とされた諏訪氏出身の大祝(おおほうり)が上社の神体ないし現人神として崇敬されていた。 ウィキペディアより 駐車場の方から行くと、道路に面していりなり石の太鼓橋が現れます。この橋の下を赤石山脈から湧き出した御手洗川が流れています。手水舎はこの太鼓橋のたもとにあります。 こちらが南鳥居です。青銅製でかなり大きく、さすがは全国25000社を束ねる総本社といった立派なものです。かつてはこちらが正門とされていたそうです。北参道は昭和になるまで無かったため、ここか北西の浪除鳥居から入るしかなかったようです。 こちらは宝物殿です。東西二棟あり、写真は西の宝物殿です。この建物だけは木材が新しかったので、新築したものと思われます。信濃国一宮なのでそれ相応のものが安置されているものと思われますが、公開されていないので中に何があるかはわかりません。 門をくぐるとここにも手水が。天然の岩を用いた野趣あふれるデザインです。苔むしシダが生え、一面緑色になっていて風情があります。水の落ちるところだけ赤くなっているのは、水の中に鉄分が含まれているからだと思います。諏訪といえば温泉地として知られているから、地下水の中にミネラルが含まれていても、おかしくないですもんね。 こちらが幣拝殿(重要文化財)です。拝殿の後ろに幣殿、左右に片拝殿が続く「諏訪造」と呼ばれる独自配置です。さすがにここからでは祭壇は見えませんが。この日はちょうどお祓いをしている方がいました。 実は諏訪大社の本宮には本殿はないのだそうです。守屋山という山を御神体としていて、この山そのものを社殿と同義にとらえているためだそうで、代わりに神居と呼ばれる空間が設けられています。これは富士山そのものを本殿とする山宮浅間神社と同じ思想ですね。 それにしても、諏訪大社と言えばこれですよ。 「御柱」 もちろん本宮にもありました。写真は一之御柱。この大木を山から切り出して、坂を下りてくるんですからね。デンジャラスにして奇祭!諏訪大社ならではの習慣です。 こちらの銅像は雷電為右衛門です。その左には温泉の湧きだす手水、明神湯があります。諏訪温泉の源泉とされ、無色透明のアルカリ性で、温度は約60度。飲める温泉として平成23年(2011年)に認可されたそうです。 で、雷電為右衛門ですが誰かというと、江戸時代最強と言われる伝説的な力士です。雷電は信濃の出身なので、ここに銅像が建てられました。ちなみにお墓は東京の赤坂、三分坂の前の報土寺にあります。 近隣のホテル ついでに行きたい近くの寺社 最近の注目記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |