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銀閣寺(慈照寺) [戻る]【指定】 国宝、国の重要文化財、国の特別史跡・名勝、世界文化遺産 【住所】 京都府京都市左京区銀閣寺町2 【宗派】 臨済宗相国寺派 【本尊】 釈迦如来 【創建】 延徳2年(1490年) 【開山】 夢窓疎石(勧請開山) 【開基】 足利義政 【HP】 https://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/ 【概要】 慈照寺(じしょうじ)は、日本の京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院。大本山相国寺の境外塔頭。山号は東山(とうざん)。本尊は釈迦如来。観音殿(銀閣)から別名、銀閣寺(ぎんかくじ)として知られている。正式には、東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)と号する。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされているが、夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、勧請開山である。 「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。 ウィキペディアより 今回訪れたのは、京都観光の定番中の定番、東山エリアの中心的寺院である銀閣寺です。臨済宗相国寺派の総本山相国寺の境外塔頭で、正式名称は東山慈照寺(とうざんじしょうじ)と言います。境内に建つ銀閣と東求堂は、室町時代後期の東山文化を代表する建築物として知られています。 というわけで、この石畳の坂を登っていきます。この日は小雨交じりだったのでこの石畳が濡れていたのと、人気のある観光地で多くの参拝者が踏みしめて摩耗していたため、表面がツルツルで・・・ すべる! まだ石段のほうが石が水平なのでマシ。昔の履物は草履やわらじだったからまだ滑らなかったかもしれないですが、現代は革やゴムの裏地の靴が主流になってしまったのでメッチャ足を取られます。 そんな石畳を何とか登り、門をくぐって右手に玉砂利の道を進むと入場券の券売所があります。お会計を済ませ、また門をくぐると、いよいよ建物が見えてきます。 まず目に入ったのが、庫裏です。お寺の水回り関係が集められた建物です。庫裏は切妻の大屋根を持つのが特徴で、そこそこ大きい寺院では見かけます。 ちなみに、京都のお寺さんでは庭師の手入れがとことん入るので、慈照寺の植木も見事に剪定され整えられています。そうなると京都はお寺の数が半端なく多くかなり庭師の需要が多いでしょうから、これを全部整えるのはかなりの労力が要りますね。しかも、京都の夏はとんでもなく暑いし。いや~、お疲れ様です。 さてここ慈照寺は臨済宗、つまり禅宗の寺院ということで付き物の枯山水庭園がないものかと思っていると、すぐそばにありました。 そんなに大きくはないですが、一応砂で波紋を描いた面があります。この波紋を描くのは修行の一環をされているので、ここは庭師ではなく僧侶が手入れしているものと思います。枯山水庭園といえば龍安寺の石庭が有名ですが、そことは異なり植木が生えたデザインになっています。 出ました!慈照寺の主役、銀閣です。鹿苑寺の金閣よりは一階層少ない二層建てなので一回り小さく、箔を張られていないので豪華さが無いですが、それだけに落ち着きのある渋くて風情ある空間を作っています。私は断然こちら銀閣のほうが好きですね。 ただこの銀閣、正式には観音堂と言いますが、奇妙な点があります。それは一階と二階では正面の向きが違うという点です。これは「美の巨人たち」というテレビ番組でも言っていたのですが、一階は縁側の配置からして東を向いているのですが、実は二階は観音扉と火灯窓がそろう南側が正面なのです。なぜそんな支持を義政は出したのか、謎が残ります。 私の見解では、東向きだと朝は東山の夕方は銀閣自体の陰で暗いので向かず、銀閣が西の端に建っていることから西向きだと外を向くことになるので相応しくなく、北向きは北向きで死を意味して好まれないので、苦肉の策で二階は南向きにしたのだろうと推察します。 そしてその隣には小さな神社も。 年季の入った石鳥居の先に木製の祠があります。八幡社とあるので、御祭神は勝運の神様である応神天皇(誉田別命)です。足利将軍家は清和源氏の流れをくむ武家なので、武家に人気の八幡社を祭ったものと思われます。 これこれ、といった感じです。最も絵になるアングルですね。ここから想像するに、雪景色も見事ではないかと思います。少し高台なのもあって現代的な市街地が一切視界に入らないように設計されていて、室町時代の風景がそのまま残っているのが素晴らしいです。 ここから振り返ると、池泉回遊式庭園とその奥に国宝の東求堂があります。 ここは持仏堂つまりプライベートな礼拝堂として造られたそうなのですが、実際には居住空間みたいな造りになっているそうです。まあ、景色もいいし、ここでお茶の一杯でも飲めたら最高でしょうね。 ちなみに遠景だとこんな感じに見えます。 違和感ないよう枯山水仕立ての庭にして、その中のオブジェみたいな感じで配置しています。わずかに岩と下草に覆われているのが渋くて粋です。 少し山林の中に入ってきました。起伏に富んだ地面に苔が敷き詰められている中で、まとまって青々としたツワブキが生えています。その奥には小さな沢があり、まるで天然の地形のように見えます。奥に見えるのが東求堂と方丈です。木々の隙間から見えるお堂も日本情緒があって素晴らしいです。 祭っているのは弁財天で、芸事と財運を司ると言われています。足利義政の時代は応仁の乱の被害を受けたのと、その背後でわいろがはびこり、財政の不安を抱えていたとも言われているので、仏にすがったのでしょうか。 さらに山道を登ると、湧水が流れているところがありました。 東山の中腹に位置しているので、その岩陰から水が流れ出ているようです。それが岩を並べて造った小川を通って、東求堂の前にある錦鏡池へと注いでいるようです。要は池の水の水源ということでしょうか。岩の並びとか川底の黒い玉砂利に不自然さがあるので、人の手が入っている感じがします。 そんな湧水は結構な高台にあって、そこから振り返って麓を望むと・・・ 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |