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龍安寺
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【認定】 国の史跡 特別名勝 世界遺産

【住所】 京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13

【宗派】 臨済宗妙心寺派

【本尊】 釈迦如来

【創建】 宝徳2年(1450年)

【開山】 義天玄承

【開基】 細川勝元

【授与品】御朱印、御朱印帳、御守、文鎮、キーホルダー、参詣手形など

【最寄駅】京福電鉄(嵐電)北野線龍安寺駅

【HP】  http://www.ryoanji.jp/top.html

【概要】
もともと衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とした。

この山荘を細川勝元が譲り受け、宝徳2年(1450年)敷地内に龍安寺を建立した。初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の境内地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。

細川勝元らと山名宗全らが争った応仁の乱の際、細川勝元は東軍の総大将だったため、龍安寺は西軍の攻撃を真っ先に受け、応仁2年(1468年)に焼失した。勝元は寺基を洛中の邸内に一時避難させた後、旧地(現在地)に戻すが、勝元は文明5年(1473年)に没す。

長享2年(1488年)勝元の子・細川政元が龍安寺の再建に着手、政元と四世住持・特芳禅傑によって再興された。寺では特芳を中興開山と称している。明応8年(1499年)には方丈が上棟された。その後、織田信長、豊臣秀吉らが寺領を寄進している。

『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)によると、当時は龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として紹介されており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名だったようである。

寛政9年(1797年)に京都町奉行へ提出された図面には23か寺の塔頭があったが、同年に起こった火災で食堂、方丈、開山堂、仏殿など主要伽藍が焼失した。そのため、塔頭の西源院(せいげんいん、現在は妙心寺の塔頭)の方丈を移築して龍安寺の方丈とし、現在に至っている。

その後、明治時代初期の廃仏毀釈によって衰退し、1895年(明治28年)には狩野派の手による方丈の襖絵90面が他の寺院に売却されている。

ウィキペディアより
 京都観光の定番中の定番として有名な龍安寺。岩と砂と苔しかない龍安寺の石庭は、国内にとどまらず海外でもよく知られています。

 ということで紹介しようと思ったのですが、大分写真を撮り忘れました😭庫裏とか方丈とかの建物も知られているのに・・・。

 あと、個人的には龍安寺垣と呼ばれる竹垣もお見せしたかった。京都のお寺の場合、通路と庭を仕切るのに竹垣を設けることが多いのですが、お寺ごとに竹の組み方が決まっていて名前が付いているんです。龍安寺の場合は龍安寺垣と言って、庫裏の手前の通路沿いで見ることができます。

 ちなみに京都の庭師は、受け持っているお寺の竹垣のパターンを全て覚えているそうです。

 そんな庫裏が入場受付になっておりまして、ここから少し堂内を進むとすぐに例の石庭を見ることができます。

 歴史の教科書や資料集でよく見るあの庭です。枯山水と呼ばれる様式で、水の代わりに砂を使って川や水面を表現するのが特徴です。これは仏教の禅宗の思想や世界観を反映したもので、雑念を払い究極にまで無を追求した結果たどり着いたスタイルです。シンプルイズベストを具現化した日本独特の庭で、西洋のとことん人の手を加えた幾何学的かつ豪勢な庭園とは対極にあります。これは欧米人にとってかなりエキセントリックでしょうし、だからこそ興味を惹かれるのだと思います。

 そして、よく見るアングルがこちらです。

 まあ、何もないですよね。それ故にかなり抽象的で、様々な想像ができます。一般的には水面に浮かぶ島々と表現されることが多いでしょうが、雲海から顔を出す岩山と見ることもできます。

 さらに背後の土塀も丁度いい感じに朽ちていて、落ち着きのあるいい味を出しています。全体的に渋くて、それがかえって非日常を作り出しています。欲を言えば、自分の家にもこんなお庭があったらなと思ってしまいます。盆石で作ればいいんですけどね。

 あと一つ、龍安寺には有名なものがあります。それがこちらです。

 吾唯知足と書かれたモニュメント、いわゆる「知足の蹲(ちそくのつくばい)」です。庭に置いておく水受けの器のことを蹲と言います。そこに吾唯知足と書かれているのですが、「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」と読みます。意味は、私は衣食住をはじめ様々なものが足りているということに唯々気付いているし、満足することを知らないと欲望が果てしななるという戒めです。

 元々は仏陀であるお釈迦様が足るを知ると言ったのが始まりで、中国の儒教の創始者孔子がこれを聞いて感銘し、吾唯を付け足しました。さらに江戸前期にこの言葉を学んだ水戸黄門こと徳川光圀がこしらえて、ここ龍安寺へ奉納したのがこの蹲です。

 そんな深い意味があるので、東京の湯島聖天や於岩稲荷陽運寺など多くのお寺にレプリカがあります。

 それはそうと、個人的には鹿威しとセットにすればもっと日本庭園らしくなって風情が出るなと思いました。
 では御朱印です。有名な寺院なので御朱印も結構ご存じの方が多いかと思いますし、かなり人気があるのではないでしょうか。それではこちらをご覧ください。

 枯山水の庭で有名なので、中央に太筆で石庭の字が力強く書かれています。かなり極太の線で、インパクトがあります。印が薄いのでわかりづらいですが、左上のは吾唯知足の蹲を模したものになっていて、これまた参拝者のツボを刺激してくれます。京都に来たら、この御朱印はぜひとも欲しいですね。

ついでに行きたい近くの寺社
【仁和寺】北山エリア 世界遺産

天皇の座を降り、出家した上皇の住まいだった真言宗寺院。
上皇の住まいだったことから、御室(おむろ=御所の意)と呼ばれる。
寝殿造の建物が多く見られ、平安時代のたたずまいを鑑賞できる。
桜の名所として有名で、様々な品種を各時期に見られる。
吉田兼好の徒然草の一節、仁和寺にある法師の話にも登場。
【鹿苑寺(金閣寺)】北山エリア 世界遺産

金閣で有名な、相国寺境外塔頭の臨済宗寺院。
室町幕府第三代将軍足利義満の別荘として創建された。
開基は作庭家として有名な夢窓疎石。
北山文化を象徴する代表的存在。

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