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二尊院 [戻る]【住所】 京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27 【宗派】 天台宗 【本尊】 釈迦如来・阿弥陀如来(双方とも重要文化財) 【創建】 承和年間(834年 ~ 847年) 【開基】 嵯峨天皇(勅願) 【開山】 円仁 【最寄駅】嵯峨野トロッコ トロッコ嵐山駅 JR山陰本線 嵯峨嵐山駅 【HP】 https://nisonin.jp/ 【概要】 百人一首にも詠われた小倉山のふもとに広がる二尊院。紅葉の名所と名高く、千二百年の時を超えて美しい景観に包まれてきました。二尊院はその名の通り、「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊を祀る寺院であり、正式には「小倉山二尊教院華臺寺」といいます。 開創したのは承和年間(八三四〜八四八)のこと。嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が建立しました。明治維新までは天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場でしたが、明治以降 は天台宗に属しています。 約五万坪の境内には、本堂、勅使門(唐門)、総門、八社宮、湛空廟、鐘楼が配されており、重要文化財の本尊二尊をはじめ、多くの寺宝が京都市指定文化財として残されています。二尊院と関わりのある天皇(嵯峨天皇、土御門天皇、後土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇)の御分骨を納めると伝わる三帝陵があり、また、法然上人ゆかりの寺として二十五ヵ霊場の第十七番札所となっています。 HPより 小倉山の麓には平安時代から数多くの寺院や草庵が建てられてしました。現代でも緑が多く、木々が茂った山道に吹く風も気持ちいいですし、京都の奥座敷や隠棲場所として重宝したのもうなずけます。これから紹介する二尊院もそんな場所にあります。 結構奥行きのある境内なので、ここからだと建物が一切見えないですね。まあ、これが山野にあるお寺の特徴で仕掛けでもあります。 総門をくぐって玉砂利の参道をちょっと歩くと、脇の茂みの奥に小さな石柱がありました。その横には木製の立て看板も。 どうやらこの辺りに西行法師の草庵があったようです。西行とは、平安末期~鎌倉初期の元武士で、後に出家し、歌人となった人物です。新古今和歌集に最も多くの歌が掲載されている人でもあるとのこと。やはり嵯峨野の地は、藤原定家といい、向井去来といい、近年だと瀬戸内寂聴といい、文化人を引き付ける魅力があるのでしょうね。 そして参道をもう少し進むと、緩やかな石段が現れました。両サイドから枝を伸ばしているのは、イロハモミジの木です。この時期は春だったので、明るい若葉色が鮮やかでした。 ところでこの石段、実はあるドラマの撮影地になっています。それは・・・ 「暴れん坊将軍」 マツケンサンバⅡでも人気になった主演の松平健が、上様こと将軍徳川吉宗に扮し白馬に乗って砂浜を走るあの時代劇です。その上様が、悪をバッサバッサ切り捨てる殺陣のシーンで使われました。 やはりモミジは写真の被写体として魅力的ですよね。秋になるとここ一面が紅葉して真っ赤に染まるので、劇的に景色が一変するでしょう。それもそれでドラマチックで、素晴らしい風景になることでしょう。 そんなモミジの参道を過ぎると、小さな滝がありました。 おそらくは小倉山の伏流水が境内の下を通って、ここから流れ落ちているのだろうと思います。一見すると「静」に包まれている景色の中に、一点「動」の部分があることによって対比が強調され、目を引くものがあります。こういう小さな変化も、景色をよく見せる演出なのだと思います。 さらには、茂みの片隅にこんなものもありました。 サルノコシカケです。キノコの一種で、結構な大きさがありました。結構朽ちかけている樹木に寄生する習性があり、こういうサルノコシカケが生えているところにも、侘び寂びを感じることができます。 本堂に到着しました。 割と横幅のある本堂で、鎧戸(細長い板を、隙間を作りつつ外からは見えなくなるよう蛇腹状に並べた建具)がはめ込まれた重厚な造りです。 前庭には所々丸く竹垣で囲われた坪庭があります。苔の庭があったり、枯山水があったりといろいろで、なかなか個性があって面白いですね。 それがさらに、背後の小倉山を借景として取り込むことで、山林の中に溶け込むように建つお寺を演出しており、一体感が生まれています。 その右側にも小さなお堂があります。 左が位牌堂、右が九頭龍辨財天です。九頭竜も弁財天も水との関連が深いですが、特に九頭竜は治水、水難除けのご利益を司り、湖や河川の脇に建てられることが多いですね。さらに弁財天の使いとされる動物は蛇ですが、それの変化したのが龍とされているので、合体させたという風に見ることもできます。弁財天は、諸芸上達、財運招来のご利益があるので、一度拝むのがいいと思います。 本堂前の広場はこの辺にしてさらに北へ向かいます。 こんな感じで真っ直ぐに伸びる、緑に覆われた涼やかな通路があります。 伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮の八柱を合祀していることから、八社宮と呼ばれています。ここは二尊院の表鬼門にあたるそうで、鬼門封じのためにここに建てられたとのことです。 では、お堂内に上がらせてもらって、裏手のほうも見ていきます。 すると、裏庭には鶏じゃなくて、小さなかわいいお地蔵さまが。 ちょっとした枯山水庭園がありました。こういうお庭があると、いかにもお寺という感じがします。奥の込み合った庭木と、手前の砂利と庭石のみの激しいコントラストが面白いです。自分ちにもし庭があったら、こんなのいいなあとどこの枯山水庭園を見ても思います。 そしてその奥には、茂みに隠れるように御園亭(みそのてい)と呼ばれる茶室があります。 普段は非公開だそうですが、期間限定で一般公開されることがあるらしく、その際にはお抹茶もいただけるとのこと。この時は非公開で、見れず・・・。 まあ、よくある造りです。どうも、二尊院の鐘楼がある辺りが、和菓子でおなじみの小倉あん発祥の地らしいです。つまり小倉あんの小倉は、小倉山から来てるということです。今ではありふれた甘味ですが、こんなところで生まれたとは意外です。 そんな鐘楼のすぐそばには、山の上へ続く長い階段があります。せっかくここまで来たので、頑張って登ります。 石畳の参道を境に、左が鐘楼、右が九頭龍辨財天です。そこにモミジの枝が伸びていて、自然美を作り出していて美しい。二尊院では一番好きな景色かも知れません。 そしてその階段を登り切ると、正面に現れるのが湛空廟です。 湛空は第三代住職で、土御門天皇と後嵯峨天皇に戒を授けた僧侶だそうです。 雨上がりだったので、空はガスっていますが、嵯峨野の景色を一望できます。やや左に見える大きなお堂は、豊臣秀頼の首塚や源氏物語の主人公光源氏のモデルと伝わる源融(みなもとのとおる)のお墓のある清凉寺かと思います。 一番奥にうっすらと見えているのが、天台宗総本山延暦寺(※世界文化遺産)のある比叡山です。とんがった山頂の左の裾野に延暦寺はあるものと思われます。 そこから後ろを振り返ると・・・ 何やら石を組んで作った台が。どうもこれが時雨亭の基礎らしいです。草庵の基礎にしては小さすぎると思うのですが。これでは厠や物置くらいの大きさしかないし、一部しか残っていないのですかね。う~ん、なんかおかしい気がしますね。 ちなみにこちらのお寺には俳優の田村正和さんの父で、昭和の大スターだった阪妻こと阪東妻三郎さんのお墓もあります。 大スターだけに、ちょっとここは見たかったです。なんとか探せてよかった。 本尊二尊と書かれたものです。基本形に乗っ取った、極々オーソドックスなデザインです。左上に嵯峨野のシンボルである小倉山の山号も入っているのがいいですね。 しかも真ん中のハンコが丸いのは、二尊院を開いたのが円光大師で、それにあやかったからでしょうか?それとも、仏教概念の一つである、円窓から来てるのでしょうか? ちなみに日付がスタンプなのは、愛嬌としておきましょう。 もう一つがこちら。 もう一つは、円光大師の名が入ったバージョンです。基本同一のデザインですが、右上のハンコには円光大師廿五霊場第十七番と書いてあります。円光大師に関連するお寺が25か所も存在するということで、当時かなり有名であちこち回られたということですね。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |
