メニュー ネットショップのコツ |
柳森神社 [戻る]狛犬の代わりにタヌキが! 【住所】 東京都千代田区神田須田町2-25-1 【御祭神】倉稲魂大神 【創建】 長禄2年(1458) 【例大祭】5月15日前後の土日・たぬき祭(10月2日) 【境内社】幸神社(さいのかみのやしろ) :伊弉冉命(いざなみのみこと) 稚産霊命(わくむすひのみこと) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 誉田別命(ほんたわけのみこと) 福寿神祠 :福寿神(徳川桂昌院殿) 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ):大物主神(おおものぬしのかみ) 水神厳島大明神(すいじんいつくしまだいみょうじん) 江島大明神(えのしまだいみょうじん) 秋葉大神(あきばのおおかみ) :迦具土神(かぐつちのかみ) 明徳稲荷神社 :宇気母智神(うけもちのかみ) 富士宮浅間神社(富士塚跡) :木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 【社務所】あり 【ご神職】境内に住宅があるのでいると思われるが、見かけない 【授与品】セルフサービスのスタンプのみ 【バリアフリー】なし 【駐車場】なし 【HP】 http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/chiyoda/5543/ 【御由緒】室町時代に、太田道灌が江戸城東北方面の鬼門除けとして京都の伏見稲荷大社を勧請して創建したとされ、椙森神社・烏森神社と共に江戸三森の一社と呼ばれた。境内の福寿神祠は徳川綱吉の生母桂昌院が江戸城内に建立したといわれている。 また、おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されている。 【年表】 長禄2年(1458年)太田道灌が、江戸城東北方面の鬼門除けとして伏見稲荷大社から祭神の宇迦之御魂を勧請して創建。 万治2年(1659年)太田道灌による江戸城築堤の際、対岸に当たる現在地に柳とともに移転。 大正12年(1923年)9月 - 関東大震災において元禄期創建の社殿などが全焼。 昭和5年(1930年)復興。 大東亜戦争の空襲にて小破、一部残存。 昭和29年(1954年)鎮座500年記念祭が行われると同時に改修完了。神楽殿が完成。 昭和59年(1984年)二度の放火により神楽殿、拝殿、本殿などが半焼。 昭和61年(1986年)の春、修復が完了、現在に至る 電気街とサブカルの町として有名な秋葉原の近くにある柳森神社です。神田川のほとりにあり、秋葉原駅から歩いてすぐのところにあります。西にはJRの高架橋があり、ひっきりなしに新幹線や在来線が行き来しています。 しかし、神田川の南岸にあるため、繁華街とは反対側です。なので、人通りも多くはなく物静かです。周囲を見渡しても商店はほとんどなく、あっても昔からのもの。電気街の喧騒と比べると、とても落ち着いた雰囲気です。 石碑がいくつか立っていました。どうも昔ここに富士塚があったようです。しかし、一度崩されてしまい、残った富士山の溶岩を隅っこにまとめたんだそうです。う~ん、富士塚が残っていないのは残念です。 ただ、小さい穴みたいのはあります。富士の胎内を模したのでしょうか?一応ここが富士浅間神社ということになります。 手水舎の先には、13個の力石が現存しています。力石とは一定重量の大小の円形または楕円形の石で、村の鎮守、神社境内、会所や村境などにあって、若者たちが力試しに用いたと言われています。東京の神社では結構残っているところがあるように思います。最も、当社の場合13個もあるので、かなり多いほうです。 しかし、今ではこれを持ち上げて力自慢をしようとする人は皆無ですね。完全に昔を忍ぶモニュメントです。それでも、歴史的価値はあるので、残っているのは素晴らしいです。 この神社には所狭しと境内社が沢山あります。明徳稲荷神社と秋葉大神の名はありますね。もう一つはわからない・・・。雑然としている神社なので、いろいろなところがアバウトです。(ちなみに、柳森神社のオリジナルのホームページもない)稲荷神社は五穀豊穣の神様ですが、秋葉神社は火を司る神様です。火災除け、災害除けの御利益があります。 ちなみに秋葉原の地名とよく似ていますが、こちらは神田川北岸にあった別の秋葉神社が由来です。 そして、こちらが福寿神社。通称お狸(たぬき)さんだそうです。なので、足元にある二体の動物の像は、熊ではなく狸です。案内板によると、第五代将軍徳川綱吉と関係があるらしいです。犬将軍と呼ばれ、生類憐みの令を出したくらい動物を大事にした方ですからね。狸も大切にしたのかもしれません。 ついでに行きたい近くの寺社 最近の注目記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |