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妻恋神社 [戻る]神田明神とともに訪れたい恋愛成就の神様 【住所】 東京都文京区湯島三丁目2番6号 【主祭神】倉稲魂命、日本武尊、弟橘姫命 【創建】 不詳 【例大祭】3月7日または8日 【境内社】妻恋稲荷 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】お札、絵馬、お守り、御朱印、吉夢の絵(通信販売可能) 【駐車場】なし(JR御茶ノ水駅聖橋口から徒歩10分程) 【HP】 http://www.tsumakoi.jp/ 【御由緒】 日本武尊は、「古事記」や「日本書紀」に登場。父王である景行天皇より命ぜられ、体格もよく武力に優れていた日本武尊は、日本(まだ日本とは呼んでいなかったが)の全国統一を目指して、西や東を平定していった。 東方十二道の荒ぶる神や賊の平定のため東へと旅だち、東京湾を走水の渡り(現横須賀市)から千葉に向けて船で渡る時、途中暴風雨に遭い、船はもてあそばれ沈みそうになった。 同行の妃・弟橘媛命が「夫の身代わりとして海に入り、海の神の心を鎮めましょう」と言って、「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」(焼津で自分を守ってくれた尊への思いが込められている)と歌を詠んで海に身を投じた。 海は鎮まり、尊は房総に上陸ができ、東国を平定し、大いに勲功をあげることができた。 帰路、上総の国碓日嶺に登り東南の方を望み「吾妻者耶・・・・・」と恋い慕いたもうたとの意を取って「妻恋明神」と号した。 当神社はその時の行宮(野営陣地)の跡と言われてる。 「あづまはや」から関東のことを「あづま・あずま」というようになったとも。 また、「ユシマ」は「聖なる水際の地」という意味があるともいわれ、この地は早くから開かれ、低地では稲作が行われており、そこで、五穀の神の稲荷が祭られ、妻恋稲荷となった。 倉稲魂命は別名は御食津神で三狐神に通じキツネに結びつく。 戦災で失われていた鈴も昭和52年に戻り、また江戸時代に使われていた縁起物の版木も偶然に見つかり、頒布が一時期再開された。 平成23年東日本大震災に伴う本殿屋根崩壊では多大なる奉賛により修復を完了、復興祈願の気運により平成25年に奉納された日本画を元に授与品「吉夢(よいゆめ)」頒布の運びとなった。 ホームページより ただ、小さい神社なのであまり目立ちません。新妻恋坂から清水坂を上って最初の右への角に一応看板があります。この角を右に曲がって路地「(旧)妻恋坂」をちょっと進むと、道路にはみ出るような形で鳥居が見えます。 階段を登り切って左を向くと、一見鹿威し(ししおどし)に見える手水があります。自然石の形を生かし、そこに竹で樋を組んだ和風の渋いデザインです。ちょっとした石庭みたいで、周囲に生えたシダがさらに風情をよくしてます。 近隣のホテル ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |