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五條天神社 [戻る]【住所】 東京都台東区上野公園4-17 【主祭神】大己貴命(おおなむじのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 菅原道真公(すがわらみちざね)も合祀 【創建】 伝景行天皇朝(伝・約西暦110年) 【例大祭】5月25日 【末社】 穴稲荷神社(忍岡稲荷神社) 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】御朱印、御守、絵馬、御札など 【駐車場】近くのコインパーキングを利用 【最寄駅】JR上野駅、京成上野駅、東京メトロ上野駅 【HP】 https://web.archive.org/web/20160911105013/http://www.gojotenjinja.jp/gojotenjin.html 【御由緒】 第十二代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の為、上野忍が岡をお通りになられた時、薬祖神(上記の二柱)の大神に御加護を頂いた事を感謝なされて、この地に両神をおまつりなされました(約1890年前)。 尭恵法師の北国紀行より・・・ 正月の末 武蔵野のさかい忍ヶ岡を優遊しはべり鎮座の社五條天神と申しはべり、折ふし枯れたる茅原を焼きはべり 契りをきて誰かは春の初草に 忍ヶ岡の露の下萌え 云々とあり、この正月は文明十八年(約五百年前)ですので、相当の古社であることがわかります。 相殿におまつりしてあります菅原道真公は、寛永十八年(約三百五十年前)に合祀され、歌の道の祖神として俗称下谷天満宮とも云われました。 社地は御創祀以来、天神山(今の摺鉢山)瀬川屋敷(アメヤ横丁入口)他、幾度か変遷を重ね、昭和三年九月に御創祀の地に最も近い現地(花園稲荷神社隣り)に御遷座になりました。 尚、日本橋本町にある薬事協会ビルの屋上には、薬祖神社として御分霊をおまつりし、毎年十月十七日に薬業関係者により盛大なお祭りが行われています。 HPより 上野公園はかつて徳川家の菩提寺の一つ寛永寺の広大な敷地だった名残で、数多くのお堂や神社が点在しています。その中で今回訪れたのは、五條天神社です。不忍池と上野公園を結ぶ坂道の途中にあるので、見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。 元々上野公園のある所は上野台地と呼ばれる高まりになっており、その頂上一面に寛永寺の建物が立ち並んでいました。 しかし、幕末の戊辰戦争の際に寛永寺の敷地が戦場となり(上野戦争)、多くの建物を焼失。その後、跡地には国立博物館や上野動物園、上野精養軒が、東の縁に上野駅、南の縁に西郷隆盛像が建てられました。 ただ、台地の西側は戦災を免れた個所もあり、上野東照宮、清水観音堂、寛永寺五重塔などの建物が残りました。五條天神社もその一つです。 参道入口はこんな感じです。神社には珍しく、下り階段になっています。こういう神社のことを下り宮(くだりみや)と言います。写真右側の茂みの部分が上野台地の崖線(がいせん)となっており、かなり急な段差があります。縄文時代にはこの辺りにまで東京湾が侵入しており(縄文海進:じょうもんかいしん)、その時に波によって浸食されてできた海岸段丘および岬の名残です。よって、不忍池は取り残された東京湾の一部ということになります。 そんな参道を通ると手水舎が見えてきます。 全国的にも珍しい、八角形の手水舎です。八の字は末広がりなのと、中国の道教では八卦と呼ばれる呪術に用いられることから縁起が良いとされているので、この形になったものと思われます。 その向かいには、神輿庫と授与所があります。こちらで御朱印を頂けます。 こちらが穴稲荷です。この鉄柵の奥が穴蔵になっていて、突き当りに祠があります。稲荷神社らしく、手前には狐の石像一対が待ち構えています。鍵が無く扉の開閉をきちんとすれば入っていいようなので、行ってみます。 なかはこんな感じで、背後の隙間からわずかに光が差し込んでおり、薄暗いです。稲荷神社らしく赤い小田原提灯とろうそくの淡い炎が揺らめいており、神秘的でちょっとお化けが出そうな感じもあります。なんだか上野公園の楽し気な喧騒とは対照的です。あまり目立たず、ガイドブックにも載らないので、こんなところが上野にあるなんて多くの人は知らないでしょう。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |