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太田姫稲荷神社 [戻る]太田道灌が娘の病気平癒のお礼に建てた神社 【住所】 東京都千代田区神田駿河台1-2 【御祭神】倉稲魂神、菅原道真、徳川家康 【創建】 長禄元年(1457年) 【例大祭】5月第二の土日 【社務所】あり 【ご神職】不在 【授与品】なし 【バリアフリー】なし 【駐車場】なし 【HP】 http://www.daisuki-kanda.com/festival/ohtahime/ こちらは神田駿河台にある神社。太田の名がついているように太田道灌ゆかりの神社です。 社伝によると、室町時代中期に太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)に罹って生死の境をさまよい、京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)が小野篁にまつわる縁起により天然痘に霊験があると聞いた道灌が一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したという。道灌はこのことに感謝し、長禄元年(1457年)に一口稲荷神社を勧請して旧江戸城内に稲荷神社を築いたとされる。後に城内鬼門に祀られた。 徳川家康の江戸入府後、慶長11年(1606年)に江戸城の改築により、城外鬼門にあたる神田川のほとり(南側・右岸)(現在の東京都千代田区神田駿河台四丁目、後に架けられた聖橋南詰の東側)に遷座した。 明治5年(1872年)、村社に定められ、名も太田姫稲荷神社と改めた。大正12年(1923年)の関東大震災では社殿が焼失、湯島天神に避難したが、昭和3年(1928年)に再建された。昭和6年(1931年)に、御茶ノ水駅の総武線拡張により、現在地に遷座した。淡路坂上の旧社所在地で御茶ノ水駅臨時改札口脇に残された椋の木には元宮を示す木札と神札が貼られている。 -ウィキペディアより- 平成25年1に大改装が行われ、特に木造の古い社務所兼神輿庫を取り壊し、コンクリート造の建物が新たに建てられました。 その隣に拝殿があります。敷地はあまり広くはなく、こじんまりとしています。社殿も大きくはないですが、中に人が入って祭祀を行うくらいのスペースはありそうです。 ちなみに一口神は稲荷神と同一だそうで、これが稲荷神社の社名につながっています。 太田姫稲荷周辺のホテル ついでに行きたい近くの寺社 最近の注目記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |