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品川神社 [戻る]タモリさんも登った東京一の富士山 【住所】 東京都品川区北品川三丁目7番15号 【主祭神】天比理乃咩命 素盞嗚尊 宇賀之売命 【創建】 文治3年(1187年) 【例大祭】6月7日に近い金曜日から日曜日 【境内社】浅間神社、御岳神社、阿那稲荷神社 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】御朱印、御守、御札、絵馬、お面など 【駐車場】数台分 【HP】 https://shinagawajinja.tokyo/ 【御由緒】 今からおよそ800年程前の平安時代末期の文治3年(1187)に、源頼朝公が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃咩命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。 やがて、鎌倉時代末期の元応元年(1319)に二階堂道蘊公が「宇賀之売命(お稲荷様)」を、さらに室町時代中期の文明10年(1478)に太田道灌公が「素盞嗚尊(天王様)」をそれぞれお祀りしました。 慶長5年(1600)、徳川家康公が関ヶ原の戦いへ出陣の際に当社へ参拝し戦勝を祈願され、その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納されました。 また、寛永14年(1637)三代将軍徳川家光公により東海寺が建立され当社がその鎮守と定められ、「御修覆所(神社の建物の再建・修復などは全て幕府が賄う)」となり、元禄7年(1694)・嘉永3年(1850)の二度の社殿の焼失の際には時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けました。 時代は明治に移り、同元年(1868)11月には明治天皇様が新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために、当社を含んだ都内の十の神社を「准勅祭神社」と定められ、御勅使が御参拝になられ御祈願をされました。 大東亜戦争の折は、当社は幸いにして戦火を免れましたが、社殿の老朽化が進み、昭和39年(1964)氏子各位の御協力により現在の社殿が再建されました。 そして、令和2年(2020)に天皇陛下の御即位を奉祝し、「御大典記念事業」として、御社殿の修復を行いました。 ホームページより 今回訪れたのは、旧品川宿の鎮守である品川神社です。明治時代に時の天皇がお選びになった、東京十社に数えられる神社です。源頼朝をはじめ、太田道灌、徳川家康、徳川家光など、多くの歴史的人物の庇護を受けてきました。 そんな品川神社でまず最初に注目すべきは、参道入り口にある石鳥居です。柱に2匹の龍が巻き付いているのが特徴で、このデザインの鳥居は東京都では珍しく、杉並区の宿鳳山高円寺と同区の馬橋稲荷神社の3カ所のみであることから、東京三鳥居と呼ばれています。 そんな鳥居の左には大黒様の石像があります。色が白いので、かなり最近のものかと思います。ただ、品川神社は東海七福神の一つに数えられているので、当社の大黒天信仰は古くからあったものと思われます。そんなわけで、社務所では大黒天の御朱印をもらうこともできるようです。 さらにその隣には品川神社のご由緒が書かれた看板があります。葵の御紋が入っているのは、徳川家の庇護が厚く、その縁から社紋を三つ葉葵としているためです。日本橋を出発して東海道を進むと最初に訪れる宿場町が品川であることから、江戸の玄関口とされ、幕府から重要視されていた町であり、その品川を守るのがこの神社なので、将軍が手厚く保護したのもうなづけます。 そんな看板の足元には先ほども言った東海七福神の看板も、申し訳程度に立ってます。ちなみに東海七福神めぐりは元日1月1日から15日まで開催していて、専用の色紙に対象の寺社の七福神の御朱印を書いてもらえるイベントです。通常の寺社名書かれた御朱印ではなく、七福神の名が書かれますので特別です。 では石段を登って境内へ入ります。この石段、割と段数が多いです。それだけ高低差があるということですが、それもそのはずここは古代に東京湾から打ち寄せる波によって削られてできた海食崖で、その縁を削って石段が作られ、海岸段丘上に神社が建っているのです。これは港区の愛宕山にある出世の石段で有名な愛宕神社と同じ立地です。 そんな石段を半ばまで登ってくると、踊り場の左に脇に逸れる細い石段が見えてきます。これが品川の富士塚(品川富士)への登山道です。この富士塚、築山部分に加え海食崖まで含めると高低差東京一だそうです。しかも、立入可というのは嬉しい。早速登ってみます。 上の写真の右端にも写っていますが、鳥居をくぐってすぐ右にある祠は、猿田彦神社だそうです。道開きの神様で、登山道だけにピッタリな御祭神です。 周囲に多く見える黒くてゴツゴツした岩は、恐らく実際に富士山から持ってきた溶岩だと思います。建設当時は冨士講の一環で、富士浅間神社へ参拝した信者が溶岩を持ち帰って富士塚を作るのが流行っていました。まあ、相当な労力だったと思いますが・・・。 そうこうしているうちに、登山道の石段が狭く、荒くなってきました。富士登山の険しさを再現しているかのようです。こういった登山道の脇に、ところどころ石碑も設置されています。これは富士塚ではよく見られる光景です。奉納した富士講のグループ名やそのメンバーが記されていたり、実際の富士山の何所にあたる場所なのかを記したりしている物が多いです。 はい、頂上に着きました。頂上はキレイにコンクリートで整地されているので、平らで、そこそこ広いです。ただ、普通富士塚の頂上には富士浅間神社の奥宮を表す祠があるのですが、なぜかここのは見当たりません。おかしいなと思って周囲を見渡すと・・・。 ありました。ちょっと立ち入れないような、山の中腹に。これは、珍しいです。宝永山的な感じにも見えなくもないです。祭祀をどうやって行うのか、不思議です。 ここから見ると、かなり高いのがわかります。ちなみに、正面に見える高架は京浜急行本線です。時々赤い電車が行きかいます。その下の大通りは、第一京浜(国道15号)です。箱根駅伝で各大学の選手たちが走る道路です。 ひとしきり眺めたので、下山します。登山道はもう一つあって、神社の拝殿側へ通じるルートもあります。そこから見た富士塚はこんな感じです。 富士山の荒々しさを再現しているかのようです。よくまあ、こんだけ大量の溶岩を持ってきたなと感心します。よく見ると頂上の辺りに掲揚塔が見えます。祝日とか例大祭とかに旗を掲げるのでしょうか。 はい、下山しました。裏から見るとこんな感じで、石灯籠やら狛犬やらがあります。木々も生い茂っていて、日陰になっています。 そして、この富士塚の隣にあるのが、富士浅間神社です。富士山を御神体とする富士宮本宮浅間大社の分祠にあたります。ちなみに浅間と書いて「せんげん」と読みます。御祭神は富士山の化身である木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です。 この浅間神社の向かいにあるのが、御嶽神社です。御祭神は修験道で人気の蔵王権現であろうと思います。ただ、蔵王権現は元々様々な仏様や神道の神様が習合したものとされているため、はっきりとしたことはわかりません。ただ御嶽とあるように、山にまつわる神様ではあるようです。そのためか、富士塚には及ばないもののちょっとした丘の上にあります。 参道から外を見るとこんな感じです。かなり高低差があり、ここが段丘の縁だというのがわかります。途中から分岐している石段が、先ほど通った富士塚の登山道です。メインの参道も中々の山登りだと思います。 余談ですが、この表参道の石段はほぼ真東を向いています。なので、初日の出を見るのには打ってつけかと思われます。ビルやマンションが無ければもっといいのですが・・・。 振り返って見ると、真っ直ぐ伸びる石畳の先に拝殿が見えます。ここには写っていませんが、左サイドには子供用の遊具もあったように思います。渋谷氷川神社もそうでしたが、たまに一部を児童公園としている神社もあります。 そして両サイドには、きれいに刈り込まれた植木が。植木屋さんの手を借りているのか、よく手入れをされています。この日は早春の時期だったので、梅の花が満開となり、見頃を迎えていました。まずは紅梅をご覧ください。 ものすごく濃いピンク色の花です。燃えるような赤さで、おめでたい感じがします。葉っぱがまだ出てきていないので、なおのこと色が目立ちます。 そして、紅梅があるなら、白梅もあります。縁起がいいように、ちゃんと紅白セットで植えられています。それがこちらです。 白いほうはインパクトはないですが、上品な感じがします。こちらのほうはまだつぼみが多く、五分咲きといったところでした。これから見頃を迎えると思います。 さらに奥へ進むと、右手に神楽殿が現れます。背後の壁に松の木が描かれた立派な舞台です。普段はお神楽をやっていないので、車で参拝される方はこの手前の広場に駐車するようです。 拝殿の前まで来ました。拝殿は、入母屋造に千鳥破風と唐破風を組み合わせた造りで銅板葺きの屋根に、赤い柱が映えるいかにも神社らしい様式です。この奥に本殿があるのですが、そちらは流造のようです。 手前左にはおみくじと絵馬を括りつける柵があります。本来おみくじは持ち帰って、御守や戒めとして持ち歩くのがいいようです。 その裏には、東京十社の看板があります。東京十社とは、明治天皇が江戸城へ移り住む際に、周囲を鎮護するために選別した十の神社のことです。この中には、全国的にも有名な神田明神や亀戸天神、富岡八幡なども含まれていますが、この一つとしてここ品川神社も選ばれています。 そのせいか、隅から隅まで見て回ったり写真をたくさん撮ったりしてしばらく長居してたけど、常にだれかしら参拝者がいる印象。テレビで日本全国に放送されたのもあると思いますが、結構多くの方に知られていて、人気を集めているんだと思います。 そして、拝殿の右隣にはちょっとした千本鳥居のような場所が。こういう所って、なぜかくぐりたくなるのは人間の本能ですかね。これをくぐった先に阿那稲荷神社の上社があります。御祭神は、五穀豊穣、商売繫盛の神様とされている倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。 上社があるなら下社もある訳で、それはすぐ隣の一段下がったところにあります。境内社で上社下社のあるのは珍しいです。中に入れるものの、薄暗いため外からでは様子がうかがえず、ミステリアスな雰囲気があります。ただ、複数人が入っているのを見ると、何やら多くの人を引き付けるかなり重要なものがあるっぽい気がします。 中に入ると、すぐ左脇に石でできた稲荷神社の祠があります。壁に埋め込まれていて、中央が穴倉のようになっています。この中に稲荷神社の象徴である狐の石像や置物が多数奉納され、安置されています。こういう風景は日本独特で、外国人からしたら非常にエスニックで神秘的に映るんだろうなと思います。日本人の私が見ても、異世界のように感じますし。 その隣ですが、これこそが参拝者を引き付けて止まないものです。それが、銭洗い弁天。この水でお金を洗えば財運に恵まれると言われている、例のアレです。日本橋の小網神社や鎌倉の宇賀福神社にあるのが有名ですが、金運アップを望む方は多いので、どこへ行っても銭洗い弁天は人気です。ここも例外ではないようで、やはり多くの方が集まっていました。いや、人間の欲はすごい! しかも、水受けが一粒萬倍と刻まれた古銭の形になっています。どこまでもお金にフォーカスしています。ただ、お金を洗うのもいいですが、この御神水を御守しているのが後ろの祠なので、しっかりこちらにお祈りしないと罰が当たって、返って財運が下がってしまうかもしれないので、忘れずに参拝しましょう。 さらにこの社殿の中には、三つの社が祀られています。 入り口から入って正面に三社並んでいるのですが、左から八百萬神社(やおよろずじんじゃ)、大国主恵比寿神社、天王白龍弁財天社です。八百萬は日本の全ての神様を表します。大国主は出雲大社の御祭神のことで、縁結びの神様として人気です。恵比寿は釣竿と鯛を手にしていることから大漁祈願の神様で、ひいては商売繁盛のご利益もあるとされています。弁財天は本来、弁才天と書くことから才能を伸ばす諸芸上達の神様なのですが、その後財の字をあてるようになり財運も司るとされてきました。さらに、水の守り神とされることも多く、湧水や池などによく祭られているので、ここも例外ではないです。 以上が品川神社でした。さすがは十社に選ばれるだけあって、結構中身の濃い神社ではないでしょうか。各種ご利益もありますし、見どころの多い神社かと思います。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |