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天祖神社(蛇窪神社) [戻る]東京トップクラスの金運パワースポット! 【住所】 東京都品川区二葉4-4-12 【主祭神】天照大神、応神天皇、天児屋根命 【創建】 鎌倉時代・1323年頃 【例大祭】9月15日に近い土・日 【境内社】伏見稲荷社、白蛇弁天社 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】夢巳札(蛇の皮入り)、蛇の置物、お札、おみくじ、絵馬、御朱印 【駐車場】近隣の駐車場利用 【HP】 https://hebikubo.jp/ 【御由緒】 文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。 その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森(大田区)に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。 文永8年の秋から50年ほどを経た元享2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。 これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩にこたえて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史) なお一説には、鎌倉時代この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。 当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。 令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。 支那事変派遣記念の字が!支那事変とは今で言う満州事変のことで、旧日本陸軍の関東軍所属石原莞爾が、中国の有力軍閥であった張作霖を南満州鉄道(満鉄)を走る列車もろとも爆破したと言われる事件です。これをきっかけとして、日中戦争が勃発。その後、太平洋戦争(大東亜戦争)まで勃発して、第二次世界大戦の戦線が拡大することになった、重要な出来事です。何を派遣したのかは謎ですが、歴史上の事件を記念しているというのは感慨深いです。 そこを過ぎると、いよいよ拝殿へ向かいます。 さらに11月は新嘗祭の月なので、特別御朱印も配布中でした。よく見たら、稲穂をくわえた白蛇の絵が描かれているではないですか。どこまで蛇にこだわっているんだ。栗、どんぐり、銀杏に紅葉が小さく入っていますが、秋らしくていいです。そして、新嘗祭はいわゆる収穫祭なので、御供物の稲穂、御神酒、鏡餅の乗った三方の絵も。もう、秋にかかわるものを入れるだけ入れた感のある中身の濃い御朱印です。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |