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成子天神社 [戻る]御神木の夫婦公孫樹と新宿最大の富士塚
【住所】 東京都新宿区西新宿8-14-10 【主祭神】菅原道真 【御祭神】天照大御神 日本武尊命 宇迦之御魂命 木花咲耶姫命 水波能女命 七福神 【創建】 延喜3年(903年) 【例大祭】9月25日 【末社】 大神宮 大鳥神社 鳴子稲荷神社 浅間神社 水神宮 【御神木】夫婦公孫樹(めおといちょう) 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】お守り・お札・絵馬・御朱印・おみくじなど 【バリアフリー】拝殿へ上がるスロープはある 【駐車場】あり(ご利用時に連絡する) 【その他】富士塚あり(登山可能) 参道から境内にわたって七福神の石像七体あり 力石 撫で牛 北隣に公園あり 【HP】 http://naruko-t.org/ 【御由緒】 創建は延喜3年(903年)。当時、菅原道真の死去を嘆き悲しんだ家臣が、道真の像を配流先の大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりであるという。その後、鎌倉時代に源頼朝により社殿が造営された。江戸時代に入ると、将軍徳川家光から土地を下賜された春日局が勧請した。 寛文年間に起きた火災によりそれまでの記録や社宝などが焼失してしまい、現在地に移転。その後、第二次世界大戦中にも空襲により社殿が焼失している。1966年に鉄筋コンクリート製の社殿を造るも、老朽化のため2013年、境内に高層の分譲マンション、賃貸マンションと神社施設を新たに建築して現在に至る。付近が新宿新都心の高層ビル街に変わった現在も、周辺の人々から信仰を得ている。 ウィキペディアより 左を向くと神楽殿。ほとんど能舞台に見えるほど、綺麗で立派です。この時はガラス張りになっていましたが、演舞する際には取り外すものと思われます。模様しものもここで行われるとのこと。なかなか贅沢な舞台です。 と、ここまで見てきましたが、全体的に社殿は新しさが目立ちます。 それもそのはず、近年全体的に建て替えをしたそうで。以前は石畳は境内の一部にしかなかったし、社殿も小さくて褐色だった気がするし。というか、薄暗くてもうちょっと荒れてたような感じでした。 それが、今では真っ赤な建物と近代的な社務所、授与所。見違えるようになりました。 でも、狛犬と石灯籠だけは古めかしい感じがするので、これらは昔のものをそのまま使っているんでしょう。ここが唯一往時を偲ばせる部分かと。 はい、拝殿に到着しました。極彩色の社殿に圧倒され、雅な感じがします。しかも、石段中ほどに手すりもあって、ご年配の方にはありがたい。壁面がガラス張りになっているのが今時でしょうか。今流行りの見える化を図ったのか? 天満宮の系統なので、梅鉢紋が入ったお賽銭箱にお賽銭を納めます。お鈴は一つしかないので、譲り合って振ります。そして、二拝二拍手一拝して、学問や仕事について感謝申し上げます。 さらに境内左脇には末社がいくつか並んでいます。天照大御神や日本武尊命など有名な神様が祀られているので、合わせてお参りさせていただきます。 さらに、井戸を囲むように三本足の鳥居が。三柱鳥居と言い、全国的にも珍しいスタイルです。 通常樹木は雌雄同体のものがほとんどなのですが、公孫樹は元々の習性で雌雄異体なんです。なので、雄の木と雌の木それぞれ1本ずつ、計2本御神木があるんです。ちなみに、上の写真の広場中央にあるのが雌。下の写真の裏手にあるのが雄です。 富士山のミニチュアです。ミニチュアといえど侮るなかれ。成子天神社の富士塚は、約12mの高さがあり新宿区一の大きさ。しかも、登山道が整備され実際に登山できるんです。下の写真の鳥居のあるところが登山口で、ここに浅間神社と木花咲耶姫命の像があり、安全祈願をします。 そもそも、全国に富士塚ができたのは江戸時代に富士山信仰が大ブームとなったのがきっかけ。しかし、当時の富士山は女人禁制だったため、女性は富士登山することができませんでした。それでもご利益にあやかりたい女性や体力に自信がない人のために造られたのが富士塚なんです。なので、現在でも都内の多くの場所に富士塚は残っています。 もっともここの富士塚は大正時代の建造だそうなので、かなり新しいんですが。 頂上からの眺めは下の写真の通りです。高いところから眼下を見れば・・・と、言いたいところですが、周囲に高層ビルやタワーマンションが立ち並んでいるので、窮屈な感じが。 それでも、お社を見下ろすのは天上に上がったような気分になります。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |