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花園神社と芸能浅間神社 [戻る]新宿のシンボル?にして東日本最大級の芸能の守護神
【住所】 東京都新宿区新宿5-17-3 【主祭神】倉稲魂命 日本武尊 受持神 【創建】 不明(1590年には存在) 【例大祭】5月28日に一番近い土・日・月曜日 【末社】 芸能浅間神社 威徳稲荷神社 納大明神 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】お守り・お札・絵馬・破魔矢・おみくじ・御朱印など 【バリアフリー】なし(階段多い) 【駐車場】あり 【HP】 http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/cms/webdir/index.html 【御由緒】 花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。 花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。 初めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和3年(1803)のこと。大火に遭った社殿復興を願って内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されていました。「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代のことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、さらに江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていたようです。 三光院稲荷と呼ばれたのは、明治維新以前には神仏習合により神社と仏教寺院が同時に祀られることが多く、花園神社も真義真言宗豊山派愛染院の別院である三光院が合祀され、住職が別当(管理職)を兼ねる慣わしだったためであるといわれています。 しかし、その三光院は明治元年 (1868)3月に維新政府が祭政一致の方針に基づき神仏分離令を発布し、廃仏毀釈が進む中で花園神社と分離され、本尊は愛染院に納めて廃絶となりました。 明治に入ると、「村社稲荷神社」が正式名称とされました。これは神名帳を提出した際に、誤って花園の文字を書き漏らし、「稲荷神社」で届出をしてしまったからだそうです。 しかし、江戸時代から当神社は「花園社」と呼ばれており、単に「稲荷神社」といえば総本山である伏見稲荷神社を指すのが一般的で紛らわしいことから、大正5年1月25日、当時の社掌・鳥居成功と氏子総代・坂田寅三郎ら13人が東京府知事に対し社号の改名願を提出しました。この社号改名願は同年2月26日に許可され、「花園稲荷神社」となったのです。 さらに昭和40年に、それまで末社だった大鳥神社を御社殿建替えと共に本社に合祀したことから、ようやく「花園神社」が正式名称となりました。 ホームページより いよいよ拝殿です。このはあぞの神社は倉稲魂命が主祭神なので、稲荷神社系かと思われますが、大和吉野山より勧請されたこと以外、発祥がわからないミステリアスな神社です。もともと伊勢丹の辺りに在ったらしいですが、旗本の朝倉氏の下屋敷が建つのにともなって、現在の場所へ遷座したそうです。 現在の社殿は昭和40年に建て替えられたもので、かなり新しいです。真っ赤な柱に白い壁と伝統的な稲荷神社の配色で、とても鮮やかで美しいです。 そういえば以前、徳光和夫さんと田中律子さんの路線バスの旅で、レスリングの浜口京子さん一家と待ち合わせしてました。繁華街に近いこともあり初詣の参拝者数も半端なく、とても知名度の高い神社です。 この先をさらに進むと、すぐにゴールデン街があります。昭和の名残がある小さなスナックや飲み屋が軒を連ねている、外国人にも人気のエリアです。この路地からも花園神社の本殿をのぞくことができ、この歓楽街を見守っています。 梁の上をよく見ると男性のシンボルが。徳さんのバス旅でも浜口京子さんが気づいてしまい、驚いていました。徳さんはこれを見て、「立派なものが・・・」とか言ってたし。アニマル浜口はニヤニヤ。ダイレクト過ぎる。 そして、花園神社と言えばもうひとつ特徴的なのが、芸能浅間神社の存在。芸能と名の付く神社がそんなにないですからね。しかも、新宿にはスタジオアルタがあったり、新宿末広亭やそっくり館キサラがあったりと芸能とのかかわりが深いですから、奉納者も多いです。 ただ浅間神社なので、本来は災害除けや登山の安全祈願にご利益があるものと思われます。特に江戸時代から明治にかけて、富士講信仰が流行ったため、その一環で建てられたんだと思います。実際この芸能浅間神社も、小さいですが盛り土がされていて、富士塚になっています。 それはそうと、しばらく来ないうちに井戸が出来上がっていました。どうも、テレビ東京の『新宿に井戸を掘る』という番組で作ったらしい。池の水ぜんぶ抜くといい、家のモノ全部出してといい、この手の企画テレビ東京好きだよね。 近隣のホテル ついでに行きたい近くの寺社 最近の注目記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |