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靖国神社
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戦争で亡くなった英霊を祀る、護国神社の総本社
【住所】 東京都千代田区九段北3丁目1番1号

【主祭神】護国の英霊 246万6千余柱

【創建】 明治2年(1869年)

【例大祭】4月22日(春季例大祭)
     10月18日(秋季例大祭) 

【境内社】元宮、鎮霊社など

【社務所】あり

【ご神職】いる

【授与品】御札、御守、破魔矢、神棚、御朱印、御朱印帳、ステッカー、置物、文具、書籍、お菓子、手ぬぐいなど

【駐車場】バス 17台 / 乗用車 70台 / 自動二輪車 10台(午前8時 〜 午後10時)

【HP】  https://www.yasukuni.or.jp/

【御由緒】
靖國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社しょうこんしゃがはじまりです。

明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社しょうこんしゃに御親拝の折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

創建当時、日本は近代的統一国家として大きく生まれ変わろうとする歴史的大変革(明治維新)の過程にありました。それ以前、日本は徳川幕府の政権下にあり、約250年にわたって鎖国政策をとり海外との交流を厳しく制限していました。ところが、アメリカや西欧諸国のアジア進出に伴って日本に対する開国要求が強まると、開国派と鎖国派の対立が激化し、日本の国内は大きな混乱に陥ります。そうした危機的状況を乗り切る力を失った徳川幕府は、ついに政権を天皇に返上し、日本は新たに天皇を中心とする近代的な国づくりに向けて歩み出すこととなったのです。

しかし、そうした大変革は、一方において国内に避けることのできない不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、近代国家建設のために尽力した多くの同士の尊い命が失われる結果となりました。

そこで明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社しょうこんしゃ」を創建されたのです。
この招魂社が今日の靖國神社の前身で、明治12年(1879)6月4日には社号が「靖國神社」と改められ別格官幣社に列せられました。

明治天皇が命名された「靖國」という社号は、「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。

                           ホームページより

 今回訪れたのは、46道府県に必ず一社ある護国神社の総本社にあたる、靖国神社です。

 靖国神社と言えばソメイヨシノの標本木があり、桜の開花宣言の基準になったり、政治家の参拝や奉納が国際問題の火種になったりと、話題に事欠かない神社ですが、東京メトロ東西線九段下駅から近くアクセスが割と良いので、行ってきました。

 まずは表参道口です。日本有数の神社とあって、参道の幅が広い!全面石畳で、さすがは靖国神社と言わんばかりの規模です。それもそのはず、都内にある神社の中では原宿にある明治神宮に次いで敷地面積が広いのです。(3位は杉並区の大宮八幡宮)

 右手には神社名の入った石碑が建っています。その先には黒光りした第一鳥居こと大鳥居が堂々と立っています。昭和49年(1974年)に再建されたもので、高さは25mあるそうです。真下に立っている人が点にしか見えないところからも、その大きさがわかります。

 この大鳥居をくぐると上り坂が終わり、並木と共にまっすぐに伸びる参道が現れます。このエリアは白百合学園や暁星学園、和洋九段など有名校が多く、参道を行き来する学生もよく見られます。

 更に、参道の右手には多くベンチが設置されているため、憩いの場として散歩の休憩や読書、昼寝をしている方も見られました。日向ぼっこをするには丁度いいでしょうね。

 しばらく進むと、中央に銅像が立っている広いサークルが現れます。

 この銅像の人物、大村益次郎と言います。日本陸軍の創設者で、靖国神社創建に尽力した方です。
 大村益次郎像の周囲には八重桜が植えられていて、春には濃いピンク色の花が咲き乱れます。

 そして、広場を過ぎると右手に外苑休憩所が現れます。中にショップとレストランがあり、そばやうどん、丼、海軍カレーなどの料理や、ソフトクリーム、かき氷、白玉信玄アイス(なぜ信玄?)などのスイーツもあります。

 その向かいには自販機コーナーがあり、その奥には駐車場があります。その駐車場に面するように、昔ながらのお土産屋さんが並んでいて、ちょっとした昭和レトロな感じが残っています。
 こちらは第二鳥居です。青銅製の鳥居としては日本一大きいのだそうです。靖国神社は何かにつけスケールが大きいですね。

 右側には日本各地から奉納された酒樽が展示されています。主だったところでは、松竹梅、大関、月桂冠、日本盛、沢の鶴など、かつて全国放送でテレビCMを流していた酒蔵の名前が見られます。

 その他にも展示しきれない銘柄が、木札となって掲示されています。中には地ビールの名前やウイスキーの銘柄なんかもあります。ご当地ならではの物だと、山梨県ではワイン、鹿児島県では芋焼酎、沖縄県では泡盛の名前も見受けられます。

 参道挟んで向かいにあるのが手水舎です。
 こちらが神門です。これまた大きくて非常に立派です。

 日本の英霊を祭る神社と言う事で、国章を兼ねた皇室の御紋である十六弁八重表菊紋が金色に輝いています。この点からしても、靖国神社が別格なのがわかります。

 中門鳥居が見えてきました。ここをくぐれば、もう拝殿です。

 拝殿に到着です。明治34年(1901年)に建てられた社殿で、入母屋造に入母屋破風と唐破風を組み合わせた複雑な造りになっています。屋根が青いことから、青銅瓦を使用しているものと思われます。破風のところにだけ彫金が施されていているのですが、よく見るとここにも菊の御紋が入っています。

 そんなに石段はないですが、緩やかなスロープと手すりもついているので、車いすの方でも昇段できるようになっています。
 右脇には御守や木札などの授与所があります。おみくじもここで引けると思います。御朱印に関してはここでは扱っていないので、その奥の大きな建物・参集殿の窓口へ行けばいただけます。ちゃんと直書きしてくれるのが、有難いです。

 ちなみに御朱印の授与所からの眺めはこんな感じです。この日は雲一つない晴天で、春のうららかな日が差し込んでいて気持ちよかったです。

 御朱印をいただいたので、もう少し回ってみることにします。参集殿のそばの通路を抜けるとあるのが、能楽堂です。元々芝公園にあったものを移築したのだそうです。というか、割と建物が新しい神社となると神楽殿ではなく能楽堂になる傾向があるような。阿佐ヶ谷神明宮、武田神社、身曾岐神社とか。

 ちなみに、ここを左に行くと遊就館という博物館があり、零式艦上戦闘機五二型や泰緬鉄道で使われたC56型31号蒸気機関車、艦上爆撃機彗星や人間魚雷回天などが展示されています。

 で、その能楽堂の脇にあるのがニュースで話題になるソメイヨシノの標本木です。この木の桜の花が5輪以上咲くと開花宣言が出ます。それを確認するために、わざわざ気象庁から職員が見に来るわけですね。ご苦労なことです。
 あとは境内社が少しながらあります。こちらも戦争や事変で亡くなられた方の鎮魂と慰霊の為に建てられたものです。

 ここには神道無念流という剣術の道場があったようです。この流派の門下には、大河ドラマで有名になった新一万円札の肖像の渋沢栄一、新撰組隊士芹沢鴨、明治維新の三傑に数えられる長州藩士桂小五郎のちの木戸孝允らがいるとのことで、結構な顔ぶれでした。

 鎮霊社、元宮

 こちらが御朱印です。なかなかの達筆です。楷書で丁寧に書かれた印象です。印は靖国神社の名が入ったもの一つだけのシンプルなデザインです。ここまでシンプルだと、返って潔い感じがします。

ついでに行きたい近くの寺社
【築土神社】九段下エリア

関東平定を企てた平将門の霊を弔う神社。
四方を高層ビルに囲まれ、埋もれるように建つ。
靖国神社や武道館に近く、ついでに参拝するのにピッタリ。

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神社の中には城跡に建てられたものもいくつかあります。
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