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亀戸天神 [戻る]亀だけじゃない、藤も名物なんだよ 【住所】 東京都江東区亀戸3丁目6番1号 【主祭神】天満大自在天神(菅原道真、菅公) 天菩日命(菅原家の祖神) 【創建】 寛文元年(1661年) 【例大祭】8月25日 【末社】 御嶽神社 花園社 弁天社 紅梅殿 神牛殿 【社務所】あり 【ご神職】多数 【授与品】お守り、絵馬、お札、木札、おみくじ、御朱印、御朱印帳など多数 【バリアフリー】屋外の石畳部分のみ車椅子可 【駐車場】専用駐車場あり 【HP】 http://kameidotenjin.or.jp/ 【御由緒】正保年間(1644年 - 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。 当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして1662年(寛文2年)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰府天満宮に倣い造営された。本殿の扁額は、御本社である筑紫国太宰府天満宮宮司であった西高辻信貞による揮毫。 古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1873年(明治6年)に府社となり亀戸神社、1936年(昭和11年)に現在の亀戸天神社となった。 出典:ウィキペディア 今回訪れたのは、東京十社のひとつ亀戸天神社、通称「亀戸天神」。あまりにも有名な神社ですから、駅を出た瞬間からドキドキです。 正面にたどり着いた瞬間、目に入ってくるのがこの大鳥居です。さすがに有名だけあって巨大です。いかに多くの人の信仰を集めてきたかわかります。 亀戸天神の境内を一望できます。眼下に広がる緑の棚は藤棚です。天神様と言うと梅ノ木がつき物ですが、ここでは藤の木が有名なんです。ゴールデンウィークの頃になると、棚から大量に藤の花の房が下がり、とても美しいです。ちなみに、この藤をモチーフにした藤守りという御守りもあります。 そして、遠くに見えるのは、ご存知東京スカイツリーです。浅草に近いのでよく見えます。 この太鼓橋を下りると右にあるのが弁天社です。池の小島にある神社として、付き物ですね。弁財天が水と関わりのある仏様なので。芸事、財運を司ると言われています。 全ての橋を渡ると、右手に手水舎があります。ただ、普通神社の手水には龍口が設置されているのですが、そこは亀戸天神。龍ならぬ亀口です。亀が口から水を噴き出しています。まあ、爬虫類ってのは一緒だけど、亀にこだわりすぎでは・・・ って思ったら、生きた亀が多数います。外来種のアメリカアカミミガメが多いようです。その他にも、中国原産のクサガメや日本在来種のニホンイシガメもいるとのことですが、1回「池の水ぜんぶ抜く大作戦」やったほうがいいのでは?イシガメが生きていけなくなっちゃうし、クサガメとの交配もしちゃうらしく、日本在来種が絶滅しちゃう。亀さん可愛いんだけど、駆除はしたほうがいい。 こちらは紅梅殿と呼ばれています。菅原道真がまだ京都にいた頃、屋敷地にお気に入りの紅梅の木があったそうです。その後、権力争いに敗れて九州の大宰府へ左遷されると、道真を慕って紅梅が一夜にして飛んできたそうです。それが太宰府天満宮にある飛梅(とびうめ)なんですが、その実を亀戸に祭ったのが、この紅梅殿だそうです。だから社紋も梅紋なんですね。 こうして見ると、亀戸天神は何から何まで菅原道真にこだわった神社であることがわかりました。 この他にも筆塚や燐寸(マッチ)塚などの石碑も多く、見るものが多数あって飽きません。最後に御朱印を紹介します。 デザイン的にはオーソドックスな構図です。正式名称の亀戸天神社の社名が入っています。一番上の楕円の印鑑には、東宰府と書かれています。太宰府天満宮が西にあるのに対して、こちらは東の天神社とのことで、この名称も使われています。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |