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不忍池弁天堂・大黒天堂 [戻る]【札所】 谷中七福神 【住所】 東京都台東区上野公園2−1 【宗派】 天台宗 【本尊】 弁天堂:弁財天 大黒天堂:大黒天 【創建】 江戸初期 寛永年間 【開山】 慈眼大師天海大僧正 【最寄駅】JR山手線・京浜東北線・常磐線・上野東京ライン・高崎線・宇都宮線 上野駅 東京メトロ銀座線・日比谷線 上野駅 京成電鉄 京成上野駅 【HP】 https://bentendo.kaneiji.jp/#gsc.tab=0 【概要】 不忍池(しのばずのいけ)辯天堂(べんてんどう)は、江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。 天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついたのですが、これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものです。 こうして天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。 琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。 昭和20年の空襲で一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33(1958)年に復興し、また昭和41(1966)年には芸術院会員であった児玉希望(こだまきぼう)画伯による龍の天井絵が奉納されました。 HPより 上野の観光スポットのひとつ、不忍池にやってきました。不忍池はかなり大きくて、蓮池があったり、スワンボートに乗れたりと、行楽地としてよく知られています。 その池の中心には弁天島が築かれています。その名の通りこの島には、寛永寺の一部の弁財天を安置するお堂が建っています。 ボート池側から見てみます。ボート入場券売り場の建物の奥に、水色の三角屋根に赤い柱の塔のような建物が見えます。アレが弁天堂です。ボート乗り場が無かったら、かなり風情ある景色に見えるでしょうね。 話は変わりますがこの不忍池、実は東京湾の名残です。縄文時代はもっと海面が高く、上野の市街地も海の中でした(縄文海進)。弥生時代になって海面が下がり東京湾が後退すると、海底のえぐられていた部分が池として残り、今の不忍池となったのです。現在池の水が海水から淡水に換わっているのは、恐らく本郷から湧きだした水(東大の三四郎池のほとりに湧水がある)が流れ込んでいるからではないかと。 明治時代には池の周囲に競馬場が造られたこともありました。 そんな不忍池の東側は、一面蓮が生い茂っています。 時期がくるとこんな美しい花を咲かせます。蓮の花は仏教では切っても切り離せない関係で、仏像の台座のモチーフとして頻繁に用いられる超定番デザインです。あの奈良の大仏が載っているのも蓮の花、三十三間堂にある約500体もの千手観音像が載っているのも蓮の花です。 アジサイですね。梅雨の時期に見頃を迎える、夏の始まりを告げる花です。この花は非常に面白い習性があって、花の色は品種ではなく地中のph値(酸性⇔アルカリ性)次第で変わります。 さらに、花弁に見えるのは本当はガクで、花本体はその中央にあるゴマほどの小さな粒の部分です。 包丁塚です。この周辺は昔から繁華街で上野精養軒や黒船亭など料理屋が多いので、仕事道具の包丁を供養するために建てられています。 ちなみに、黒船亭はトンカツの添え物の定番、キャベツの千切りの元祖です。日露戦争でスタッフが兵隊として取られてしまったがために人手不足で添え物の温野菜を作る手間をかけられず、ブチギレた料理長が「キャベツの千切りでものせとけ」と言ったのが始まりだそうです。これが意外に好評で、全国に広まりました。まあ、これも包丁あってのエピソードですね。 そして、こちらは 暦塚です。暦だけに、日時計をモチーフにしたオブジェです。何のいわれがあってここにあるのかはわかりません。まだツルツルピカピカなので、最近のものです。 奥は東屋で、涼めるようになっています。その天井は藤棚になっていて、5月くらいになると藤の花が一斉に咲き、天井から垂れ下がる姿もまた見ものです。 そして、こちらは石塔です。 何の石塔かわかりません。塚の字は見えるので、何かを記念したか供養しているのは推察できます。 青銅製立像です。右隣にも塚を名乗る石碑がありますが、崩し字なので読めません。右端に写っている木は桜だと思われます。この辺りはモミジの木も何本か植わっていて、風流です。 そして、こちらは八橋検校(やつはしけんぎょう)の顕彰碑です。検校とは、元々荘園の監督を務める役職名だったようですが、後に盲人の最高位の名称として定着しました。 その中でも八橋検校は有名で、筝曲(そうきょく)いわゆるお筝(こと)の先生として知られる江戸時代前期の人物です。なので、手前にはお筝を模した石像もあります。 ちなみに諸説ありますが、京都を代表する和菓子「八つ橋(焼き八つ橋)」は、八橋検校を偲んで筝の形を模したという説があります。 そして、こちらは・・・ ふぐです。 思いっきりふぐが波間で羽ばたいています。明らかにふぐの供養塔ですね。これまた日本料理の高級食材を弔うための石碑です。 芭蕉翁とだけ書かれた石碑です。松尾芭蕉もここを訪れたことがあるのでしょうか?芭蕉の石碑というと俳人ということで句碑をよく見るのですが、これは名前しか書かれていませんね。何なんでしょう?翁とあるので、割と高齢になってから来たようです。 最後にこちら。 魚塚です。上野といえばアメ横。アメ横といえば鮮魚店ということで、商品である魚の供養と商売繫盛を願って建てられた石碑です。年末になるとアメ横は、正月料理として食べる鮭、マグロ、タラバガニ、数の子を買い求める客でごった返しますからね。鮮魚店はアメ横の顔ですよ。 石碑の紹介はここまでにして他を見ると、手水舎がありました。 やっとここまで来た感があります。辨天堂と書かれた提灯が掛かっていて、アピールしています。手水鉢には波で囲まれた三つ鱗の紋が浮き彫りになっています。この紋は弁天堂を表しており、他には波除神社や厳島神社なんかでも見られます。元々のモチーフが水にまつわるので、水の神様(弁財天も水神のひとつ)を祭るところに用いられます。 背後の水辺には蓮と葦が一面に茂っていて、うっそうとし過ぎて一切水面が見えないです。 で、弁天島には二つお堂があって、まずは北側にあるものから見ていきます。 こちらは大黒天堂です。その名の通り、大黒天を安置しているお堂です。富を与えてくれる七福神のひとつですが、谷中七福神の大黒天はここのではありません。 こちらがお目当ての辨天堂です。正面を埋め尽くすように、ズラリと上野界隈のお店や会社から奉納された提灯が並んでいます。もう、お堂の姿なんて見えやしない。さすが繁華街にして北の玄関口上野。 左手には銅でできた琵琶の像があります。弁財天愛用の楽器が琵琶ということで、関係しています。 お堂の前まで来ると、こんな感じで開帳して祭壇を設けてあります。天井には大提灯があるのがわかります。この奥に御本尊の弁財天がいらっしゃいます。 御朱印の授与所は、ここから左へ回ったところにあります。正面の縁側には多彩なおみくじが並んでいて、いろいろな運試しができます。 階段上から大黒天堂を望みます。 こんな感じで、木立に囲まれるように建っています。どこか時代に取り残されたような、風情ある景色です。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
