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清水観音堂 [戻る]【住所】 東京都台東区上野公園1丁目29 【宗派】 天台宗 【本尊】 千手観世音菩薩 【創建】 寛永8年(1631年) 【開山】 慈眼大師天海大僧正 【最寄駅】JR山手線・京浜東北線・常磐線・上野東京ライン・宇都宮線・高崎線 上野駅 東京メトロ銀座線・日比谷線 上野駅 京成電鉄 京成上野駅 【HP】 https://kiyomizu.kaneiji.jp/#gsc.tab=0 【概要】 清水観音堂は、寛永8(1631)年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。 天海大僧正は寛永2(1625)年に、二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に、平安京と比叡山の関係にならって「東叡山寛永寺」を開きました。これは、比叡山が京都御所の鬼門(艮=東北)を守るという思想をそのまま江戸に導入することを意味し、江戸城の鬼門の守りを意図したのです。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立しましたが、清水観音堂は京都の清水寺(きよみずでら)を見立てたお堂です。 清水観音堂は、京都の清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩像が天海大僧正に奉納されたことにちなみ、清水寺と同じ舞台作りで、初めは上野公園内の「擂鉢(すりばち)山」に建てられました。しかし元禄初期、今の噴水広場の地に、寛永寺総本堂の根本中堂建設が決まると、その工事に伴って元禄7(1694)年9月に現在地に移築されました。上野の山に現存する、創建年時の明確な最古の建造物です。 平成2年12月から文化財保存修理が行われ、平成8(1996)年10月に竣工、元禄移築時の面影を再現するに至る、国指定重要文化財です。 HPより 上野公園にはいくつか神社やお堂があります。それは上野公園全体が元々、徳川家の菩提寺寛永寺の敷地だったためです。江戸城の鬼門を封じるために建てられたお寺で、裏鬼門封じの芝増上寺と並んで重要な役目を負っていました。 戊辰戦争のひとつ上野戦争では主戦場になり伽藍の多くが焼けたものの、公園に転用された際に被災を免れたお堂は撤去されずにそのまま残されました。幸い第二次世界大戦でも被災せず、今は重要文化財に登録されています。 そんなお堂のひとつである清水観音堂を参拝します。 清水観音堂のそばまでやってきましたが、今時珍しいものを発見しました。井戸です。それも江戸時代に一般的だったつるべ落としのタイプ。木桶を底に落として水を汲み、それを引っ張り上げる方式です。道具や柱は新しそうなので現代になって再現したのだと思いますが、この井戸を未だ残しているとは。 では、観音堂の前まで来ました。拝観受付はないので、自由に入れます。 このように全体的に朱塗りになっているのが特徴です。そのため、結構離れたところから見ても目立ちます。 右手前に写っている小屋は手水舎です。こちらは朱塗りではなく、落ち着いた色合いになっています。その奥には絵馬掛けも見えますね。 では階段を登ってお堂へ上がります。 こちらが正面です。真ん中だけが観音扉で、他が跳ね上げ式のしとみ戸になっています。この中に御本尊の観音菩薩像があります。 本堂にあたる根本中堂とは別に観音堂内にも授与所があり、オリジナルの御守や絵馬、おみくじ、御朱印などの配布を行っています。 反対側からもお堂を見てみます。 こちらには水鉢や灯籠なんかがあります。渡り廊下があり、バックヤードとして使っているであろうもうひとつのお堂とつながっています。 それにしても、写真を見ると観音堂の前の広間が大分幅あることがわかります。 離れたところから見てみると、こんな感じになっています。 崖からせり出すように広間が作られているのがわかります。これは懸造(かけづくり)という建築方法で、有名なものでは京都の清水寺の本堂と舞台があります。 実はこの清水観音堂、この清水寺から勧進して建てられたお堂で、それを再現するべくお堂の前に迫り出すように広い舞台を設けて、似たような造りにしています。だから名前にも「清水」の名が入っているのです。 しかもこの舞台から授与所で販売している願い玉という巾着袋を投げて、崖下にある受け皿に見事入ると願いが叶ったり運気が上がったりするそうな。 さらに面白いのが松の木です。 なんと目の前にとぐろを巻いた松の木があるではないですか!? この松の木、「月の松」と呼ばれているもので、歌川広重の江戸名所百景の浮世絵にも描かれるほど、当時からよく知られていたそう。ただ、当時の松の木は明治時代の台風で折れてしまい、現在のは2代目だそうです。江戸時代の人々が堪能した風流な景色を、現代でも見ることができるのは素晴らしい。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
