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西向天神社
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【住所】 東京都新宿区新宿6-21-1

【主祭神】菅原道真

【創建】 安貞年間

【例大祭】5月25日

【摂末社】東大久保富士塚

【社務所】あり

【ご神職】所在

【最寄駅】東京メトロ副都心線・都営大江戸線 東新宿駅

【駐車場】なし

【HP】  http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/shinjuku/5512/東京都神社庁HP

【御由緒】
1228年(安貞2年)に栂尾明恵上人が創建したと伝えられ、社殿が西を向いているため西向天神と呼ばれる。旧・東大久保村鎮守。

Wikipediaより


 東新宿にある天神さま、西向天神社です。文化センター通りより一本東、天神小学校と新宿中学校に挟まれた、住宅街の通り沿いにあります。周辺には新宿山の手七福神に数えられている神社仏閣がいくつかあり、ここ西向天神社は抜弁天の御朱印を配布しています。


 その西向天神社の正面がこちらです。この辺りは起伏が激しく坂道の多いエリアで、この神社は写真の通り崖に沿って境内が広がっています。

 そのため狛犬も平地に建てられず、こんな崖っぷちにあります。


 奥に見える屋根は、神楽殿です。神楽殿も台地の縁ギリギリに建っているのがわかります。山の手と呼ばれるだけあって高低差が激しく平地が少ないとはいえ、かなり狭苦しい土地です。

 石段を登り切ると、すぐ石鳥居と手水舎がありました。


 極々平凡な手水舎ですが建ってる場所が石段登ってすぐなので、うっかりすると見過ごしそうです。

 この手水舎から東へ振り向くと、目の前に社殿があります。あまり大きいほうではないですが、青銅色の屋根が印象的な建物です。建具だけ新しくした感がありますね。


 天神社らしく擦りガラスや鬼瓦、雨どい、賽銭箱、石灯籠など、いたるところに御祭神菅原道真公の家紋である梅鉢紋が描かれています。
 そこから少し離れたところに、石の不動明王像が。古いのと風雨にさらされているせいか風化していて、お顔が削れてしまっています。


 でも、木柵で囲んでいて大事に守られているようです。

 背後に植えられている木は恐らく梅の木かと思われます。御祭神の菅原道真公が生前梅の木を大切に育てていたことから、天神社を代表する樹木とされました。もっとも、ここのはまだ木が低く幹が細いので、最近植えたものではないかと思われます。

 ちなみに、手前あるのはイロハモミジですね。

 その隣には、真新しい石碑がありました。


 新宿の女という歌謡曲の歌詞を書いた石碑です。歌っていたのが藤圭子という昭和の歌手で、あの宇多田ヒカルのお母さんです。藤圭子のデビュー曲で、当初は愛用の白いギターで弾き語りをしていました。そんな新宿の女の碑は、新たな西向天神社の名物になっています。

 南側へ行くと、また別の石碑が。


 「武蔵國大久保菅公廟碑」とあります。墓ではないものの、ここに菅原道真公の御廟があったようです。

 その奥に見える建物が授与所で、こちらで御守やおみくじの他、御朱印も配布しています。御朱印帳への直書きもしてくれます。

 そして、こちらが先ほど崖下からのぞいていた神楽殿です。


 このすぐ後ろは崖ですからね。結構際々に建っています。手前には神社には珍しく、芝生の庭が広がっています。

 あと個人的にちょっと気になったのが、神楽殿の軒下になにやら細々としたものが。あれ、盆栽です。あそこに棚をこしらえて、たくさん盆栽を並べて育てているようです。松やらイワヒバやらありました。神社という和の建物に囲まれた中で盆栽って、これ以上マッチするロケーションはないですね。いい趣味してます。

 境内の一部は児童公園になっています。滑り台や回転遊具、ちょっと離れたところにブランコがあります。ベンチもあって、時々大人が休憩している姿も見られます。


 そんな公園内にも石碑が多数あります。こちらは西向天神社碑で、恐らく漢文でこの神社のいわれについて書かれています。まあ、何と読むのかわかりませんが。


 別の場所には、大東亜戦争戦没者慰霊碑があります。結構神社やお寺には、こういう戦没者慰霊碑が建っていることが多いですね。しかも、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争(大東亜戦争)のものが多い。戦場にならなかった戊辰戦争や西南戦争のものは、あまり東京では見られないですね。


 そして、こちらは神輿庫です。5ヵ所扉があるので、最低でも5基御神輿があるのでしょう。しかし、木の戸板で閉め切られているので、中をうかがい知ることができませんでした。


 さらに、この西向天神社で最大の目的にして、最大のモニュメントといったらこちらです。


 富士塚です。昔の人が作った富士山をイメージした塚ですね。富士山信仰が大流行していた江戸後期から明治初期に、盛んに東京や埼玉に作られました。その一つがここで、東大久保富士と言うそうです。フェンスで囲まれていて中へ入ることはできませんが、塚に登れるようにちゃんと石段を設けてありました。

 本来は頂上に富士浅間神社をお祭りするのですが、なぜかここのは石碑に「日之尊」と書かれています。


 その周辺にもいっぱい石碑を建てるのが富士塚の特徴なのですが、その中でも大きいのを見てみると大正十四年に再築したとあります。どうも一旦破壊されたのを大正時代に再現したようです。富士塚は規模が大きいので都市開発の際に邪魔になりやすく、破壊されることが多いのです。

 しかし、富士塚は町内会との結びつきが強いので(町内会ごとに富士山信仰のグループを作る風習があるため)、愛着から再築したのでしょう。

 ちなみに、後ろから見るとこんな感じです。


 崖の高低差も利用しているのでより高さがあるように見え、そそり立つように感じます。そして、裏側にも数多くの石碑が奉納されていますが、近づけないのでなんて書いてあるかまでは確認できませんでした。なんか、崖の縁を利用して高さを稼ぐやり方が、品川富士と一緒ですね。

 あとこれは余談ですが、西向天神社の境内とつながっているので、お寺のお堂も少しふれておきます。


 こちらは大聖院の不動堂で、その名の通り不動明王像が安置されています。なぜか神社の境内に面して正面を向けているため、同じ境内かと錯覚してしまいます。この中には新宿区の登録有形文化財の文書が納められているそうで、非常に貴重なお堂です。

 が、正面のサッシュが閉め切られているため、御本尊様を拝見することはできませんでした。

 ではお待ちかねの御朱印です。こちらの神社では、御朱印帳へ直接記入していただきました。ちょっとかわいい、天満宮らしいデザインです。



 筆跡に関しては、走り書き感のある勢いが見える字です。

 ハンコに関しては、上のものが特徴的です。シンボルである梅の花をイメージした外枠が、いかにも天満宮らしいです。中央には神社の名である西向天満宮と書かれており、左右には武蔵國大久保郷と記されています。下のハンコは普通に西向天神社と書いてあります。



ついでに行きたい近くの寺社
【抜弁天(厳島神社)】新宿エリア

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新宿七福神のうち、弁財天を祭る
境内には池があり、キレイな錦鯉を見れる

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