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荻窪白山神社 [戻る]【住所】 東京都杉並区上荻1-21-7 【主祭神】伊邪那美命 【創建】 文明年間 【例大祭】9月8日 【末社】 稲荷神社 田守稲荷神社 三峯神社 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】 【最寄駅】JR中央線・東京メトロ丸ノ内線 荻窪駅 【HP】 https://ogikubohakusan.or.jp/ 【御由緒】 旧下荻窪村の鎮守。当神社の創建は、社伝によると文明年間(1469年~1486年)に関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現社を奉齋したのにはじまる。その後に中田一族が栄え、当地に社殿を建てたといわれている。別当寺は光明院であった。 昭和42年(1967年)に環状8号線拡張にともなって本殿や拝殿などが改築されるようになって現在に至る。 Wikipediaより 石鳥居と社号碑が立っています。注目は社号碑です。こちらの字は第34・38・39代内閣総理大臣の近衛文麿揮毫(きごう)です。近衛文麿は近衛家第30代当主で、公家の中で最高の家格である五摂家の中の一角でした。五摂家とは藤原氏嫡流で、摂政関白に就くことを許された五つの家のことです。近衛家の他に、一条家、九条家、鷹司家、二条家があります。つまり近衛文麿は、貴族中の貴族というわけです。 第1次近衛内閣では、盧溝橋事件、日中戦争が勃発、第2次、第3次内閣では大政翼賛会設立と大東亜共栄圏構想、日独伊三国同盟締結など、第二次世界大戦へと突き進む激動の昭和において転機を作った人物です。 そんな近衛文麿揮毫の社号碑を後にして、先へ進みます。石畳の続く細い境内になっています。その脇には何点か石碑が立っています。その中でも気になったのが、荻窪駅開設満五十年記念樹の碑です。昭和16年12月21日のことだそうですが、戦中にこんなセレモニーやったんですね。 途中公道が横切っている箇所があり、そこを渡ってさらに進むと再び石鳥居が現れました。 この中に御神輿が何基か保管されています。一番左だけがちゃんと瓦屋根が載っていて大きな区画になっているので、恐らく最もメインの立派な御神輿が納められているものと思います。 その向かいには、参拝前に手や口をお清めする手水舎(ちょうずや)があります。本来は伊勢神宮や富士浅間大社みたいに全身を清めなくてはならない(禊(みそぎ)という)のですが、そんなこといちいちやってられないので、簡素化したのが手水です。 ※ 背後に見える家屋が、ご神職の住居を兼ねた授与所です。専用カウンターはないので、引き戸を開けて玄関内で御守や御朱印の授受を行います。 その手水に取り付ける水の吹き出し口のことを龍口(たつくち)といいます。一般的に龍の口から吹き出るようなデザインにするからですが、ここのは超例外で他所とは全く違う動物をモチーフにしてました。 それが、こちらです。 極々オーソドックスな造りです。漆喰がくすんでいるので、そこそこ古いものかと思います。 ただ、周辺に楽屋が見当たらないので、どこで着替えるのかは謎ですね。 で、この荻窪白山神社ですが、実は歯の神様として崇められているそうです。というのも、創建者の中田加賀守が歯痛で悩んでいる時に、この神社の前に生えている荻の木で箸を作ると治るとのお告げを聞き、その通りにしたところ治まったことからきているようです。 そうなると、子供の歯の生え代わりにもご利益があるかもしれないですね。 摂末社に関しては、神楽殿の脇に集められています。しかも近年リニューアルしたようで、真新しい白御影石に玉垣や鳥居などが作り変えられています。 しかも、手すり付きのスロープも設置されているので、お年寄りでも入りやすくなっています。 ※ スロープの途中に少し段差があるので、車いすで入れるかは微妙なところです。 どうやら昭和の社殿改築の際に、当時の神主さんが十二支の中に入れなかった猫がかわいそうとのことから、猫の石像を置き始めたらしく、そこから随時増やしているんだそうです。 そして、神楽殿の裏にも末社がありますが、こちらは名札がないので何神社かはわかりませんでした。 こちらは1枚目とは違って、イラストがたくさん入っていて楽しげです。参拝した時の干支うさぎの絵と卯の落款があるのがいいですね。 ただここの御朱印は印刷であるがゆえにいい点がありまして、それは シール になっていること。糊を使わずに、その場で御朱印帳へ貼り付けることができるので、すごく便利です。今時の御朱印で進化していました。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
