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長禅寺 ➎ [戻る]【札所】 甲府五山 甲斐百八霊場58番 【住所】 山梨県甲府市愛宕町208 【宗派】 臨済宗 【創建】 (伝)天文21年(1552年) 【開山】 大井夫人 【最寄駅】JR中央本線・身延線 甲府駅 JR身延線 金手駅 【HP】 https://kofu-tourism.com/spot/34(甲府観光ナビ) 【概要】 長禅寺(ちょうぜんじ)は、山梨県甲府市にある臨済宗系の単立寺院。東光寺、能成寺、円光院、法泉寺とともに甲府五山のひとつ。 甲府市中央部に位置し、愛宕山の南麓に立地する。甲府には戦国期に甲斐国守護武田氏の創建した寺院が数多く分布し、長禅寺は居館である躑躅ヶ崎館(甲府市武田)を中心とする武田城下町の南端にあたる。近世には甲府城の東部にあたり、長禅寺前は郭外の武家地で、長禅寺参道は東流する藤川を経て長禅寺前の南北通りとなり、三ノ堀を隔てて魚町通りへ至る。享保9年(1724年)に甲斐一国が幕府直轄領化された後は長禅寺前に甲府代官所が設置され、長禅寺前陣屋と呼称された。 長禅寺の前身は甲斐西郡(甲府盆地西部)の国人領主である大井氏の領する巨摩郡相沢(現在の南アルプス市鮎沢)に建立された寺院(古長禅寺)で、大井氏の菩提寺であった。古長禅寺は真言宗寺院であったが1316年(正和5年)に甲斐国おいて臨済宗を布教させた夢窓疎石により改宗されたという。 戦国時代には大井氏の娘である大井夫人が国斐守護武田信虎の正室となり、晴信(信玄)らを出産する。大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も館へ留まり、没後に晴信は寺を二分して甲府へ移転する。晴信は臨済宗妙心寺派と強い関係を持ち、後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際には第一位としている。 創建年代は、『甲斐国志』によれば信玄生母が死去した天文21年で、『甲斐国社記・寺記』によれば永禄年間(1558年 - 1570年)であるとする。なお、旧地に残されたもう一つの寺は古長禅寺として現存している。 『国志』によれば、信濃安国寺から本尊の阿弥陀像が移されたが、武田氏滅亡に際した兵火により焼失したという。 Wikipediaより 四脚門 今回訪れるのは、戦国大名武田信玄(晴信)が定めた甲府五山のひとつ長禅寺です。臨済宗寺院で、晴信に「機山信玄」の法名を授けた寺とされています。線路沿いに建っているので、中央線や身延線の電車からも見え、かなり目立つ存在です。 では、いきなり表へ行くのではなく、ちょっと周辺も散策しながら向かいます。そこでまず目に入ったのが、四脚門です。主脚2本+支柱2本=4本脚だから四脚門。空き地の中にポツンと建っていて、なんか異様です。瓦、柱、基礎のコンクリート、どれも新しく、近年造ったものとわかります。軒丸瓦には武田菱が入っており、武田家ゆかりの寺院であることをうかがわせます。 余談ですが、左下の背後に写っている大きなビルは、山梨県唯一の女子校である山梨英和中学校・高等学校の校舎です。ミッション系なのでキリスト教を信奉しており、和様の宗教が隣り合った不思議な風景になっています。 鬼子母神堂 四脚門から少し離れたところにある空き地には、鮮やかで目立つ紅白のお堂があります。白漆喰の壁に朱塗りの柱、宝形造の瓦屋根、そのてっぺんには金色に輝く擬宝珠と武田菱。これまた空き地にポツンと建っていて異様なので、近づいて見ました。 すると中に母子の像が安置されていました。この構図からして、鬼子母神であることがわかります。鬼子母神は元々悪鬼でしたが、お釈迦様に諭されて改心し、仏の道に入って優しい母親になったという伝説があります。そのため子宝運、安産祈願、子育ての運気向上のご利益があるとされています。 その周辺には、石造が何体も点在しています。石材が真っ白で明らかに新しいので、これらも最近作って設置されたもののようです。なんかここまで見るもの全てが真新しくて、甲府五山の風格を思わせるものが見えてこないのですが・・・。 総門・山門・東門 では、表口に着きました。背後には線路下をくぐるガードと、長禅寺前信号があります。そこから真すぐ伸びる石畳が境内を貫いています。 その角には石碑が建っていて、なにやらつらつらと書かれています。要約すると、「信玄公の母大井夫人の墓所、信玄公が幼少期に勉強した場所、信玄公が剃髪した寺」ということです。 そしてなにより目立つのが、この大きな門です。電車からでもよく見えます。恐らくは総門ではないかと思われます。見ての通り部材にまだ新しさが見えるので、近年建てたものでしょう。新しいとはいえ、この大きさは甲府五山の風格が感じ取れます。 あの大きな門をくぐって境内へ入ると、また門がありました。瑞雲山長禅寺と書かれた山号碑とともに建っているこの門は、山門かと思います。ただ、これまで見てきた建物と違ってこの門は古そうです。ようやく歴史的なものに出会えました。 それと多分ですが形態としては仁王門で、両サイドの小部屋に1体ずつ、計2体の金剛力士像(仁王像)が安置されているものと思われます。ただ、鉄柵があって近づけないので、よく見えませんが。 そして、そこから東へ行ったところにも小さな門があります。いったい何基門があるんでしょう?この門も非常に新しく、正に最近造ったようです。なんか、通用門にでもするつもりなんですかね?こんなにたくさん門が要るか?と思います。 そんな東門を通って、右から回って中へ行きます。 鐘楼 すると鐘楼が建っていました。こちらの建物も大分新しいです。あっちこっち工事していて、大幅リニューアルでも図っているのでしょうか?しかもこの鐘楼、土台がまだ整えられておらず、まだ途中のような。 でありながら、もうすでに梵鐘が吊り下げられています。どんな梵鐘なのか見てみると、割と大きい。にもかかわらず絵柄がほとんどなく、ほぼ無地。そこは凝らないんかい? 東屋・庫裏・本堂 こちらは寺務所として使われている庫裏(くり)です。玄関もここにあります。授与所が見当たらないのでこちらのインターホンで問い合わせたら、御朱印の配布はないと言われてしまいました。甲府五山に数えられる古刹なのに御朱印がないというのも珍しい。 この庫裏から伸びる棟には、一点金色に輝くものが。何だろうと思ったら、なんと龍の頭!しかも口に珠をくわえています。棟瓦を胴体に見立てているんですね。ボーっと歩いていると気付かないと思うので、よ~く目を凝らして探してみてください。 ちなみに、龍は金運財運💴の象徴なので、お金が欲しい方は見逃せませんよ~。 こちらが本堂です。中には入れず、塀越しに見るしかありません。ここから見る限りでは、結構横幅がありそうです。本堂と門の間隔があいているように見えるので、前庭があるのかもしれません。特に長禅寺はその名の通り禅寺なので、もしかしたら枯山水庭園があるのかもしれませんね。 三重塔・五重塔・八角塔 仏塔も複数見えるので、ひとつずつ見ていきます。まずは三重塔から。薄っすらピンク色をしており、かつては朱塗りだったことがうかがえます。かなり年季の入った部材から、古いことがわかります。たぶんこのお寺で最も古い仏塔だろうと思います。 続いては五重塔です。先ほどの三重塔は色が飛んで日焼けしてるので白かったですが、こちらは逆に黒ずんでいます。それなりに古そうではありますが、三重塔よりは新しく見えます。基壇も石造りなので、やはり年代の新しさを見てとれます。 正面の扉だけは修理したのがもろバレで、全く色が違ってしまっています。いや~、これだけはなんとかならんかったのかな? この五重塔は長禅寺で最も高い建物です。それだけに、駅前の甲府城天守台からでも見ることができます。正面の塔が五重塔で、その右の大屋根が本堂です。 ちなみに甲府城の築城(正確には改築だが)は武田家滅亡後の徳川支配期に、配下の平岩親吉によって行われたので、武田信玄・勝頼父子はこの景色を見ていません。なのでそれ以降に入ってきた浅野長政、幸長、柳沢吉保、戊辰戦争で落城させた板垣退助だったら見ているかもしれません。 そして、本堂裏にもうひとつ。こちらはかなり小振りで、まだ新しいです。 ちょっと珍しい、八角形をしています。まあ、川崎大師にもっと大きなのがあるので、無くはない形式ですが。しかもここのはなぜか中途半端な4層。 それにしても長禅寺は、最近造ったものがやたら多い。なんでしょう?ここにきて伽藍の大改編でもやろうとしているのでしょうか? 北之坊霊廟 で、北之坊と石碑には書いてありますが、これはお寺の開祖で、一般的には大井夫人ないしは大井の方と呼ばれています。誰やねんと思う方も多いでしょうが、この方は武田信虎の正室で、あの武田信玄の生母です。武田一族の国衆で、椿城主だった大井家から嫁いできたので、こう呼ばれています(南アルプス市にある椿城跡の本重寺境内に、実家の墓石がある)。 その北之坊霊廟がこちらです。 三重塔と同じ色合いで、ピンク色をしています。これも恐らくは朱塗りにされていたのでしょうが、剥げてこのように変色してしまっています。とはいえ、戦国時代のスーパースター武田信玄の母君というのもあって、ちゃんとお堂までこしらえられています。 そしてこの霊廟の前には石畳の参道があって、そこからの眺めがこのようになっています。 遠くに見えるのが、先ほど見た山門です。あの山門からの道はここにつながっていたのです。手前にはツツジがキレイに咲いています。実は武田信虎・信玄・勝頼三代の居館の名前が躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)ということから、この花は武田家とは切っても切れない関係にあります。 大井夫人墓など さらに、霊廟があるということは墓石もあるのではないかと思ったら、共同墓地の一番奥の高台にありました。歴代住職のお墓とともにこの墓苑の最上段に位置しており、さすが身分の違いがあります。その大井夫人のお墓はこのようになっています。 まず門柱があります。これは意外と新しそうで、現代になってから建てたのかもしれません。そこから飛び石が続き、その先に石灯籠に挟まれてお石塔があります。周囲に生えている木々は杉です。そのせいで木陰になっていて、ちょっと薄暗いです。 ここからだとわかりずらいので、もっと近づいてみます。 このようにそこそこ大きなお石塔です。が、現代でも見られるこのスタイルの墓石は江戸時代以降に登場するので、もしかしたら1回建て替えた可能性があります。さらに、右の石灯籠のてっぺんの珠(擬宝珠:ぎぼし)が、どこかへ行っちゃってます。あと、左奥には手水鉢らしきものがありますね。まあ、使われていなさそうですが・・・。 それにしても、ここの墓地にはもうひとつ、すごく立派なお墓があります。 石垣組んで高くして、丸に二引き両の家紋が入った塀で囲み、洋風の柵のついた階段があって、石の太鼓橋でつなぐ。明らかに相当なお大尽か名士の墓だと思われますが、草ボーボーで無縁墓になってしまっています。大きな石灯籠も何基も建ってるし、どんだけお金をかけたんだと思いますが、こうなってしまうと儚いなと思います。 それはともかく、自分の母の墓所であることから信玄が甲府五山に選んだのは納得です。お寺自体の規模もデカいですし、境内に入ってしまえば市街地の建物がほぼ見えないので、古の日本の情緒ある景色を楽しむことができます。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |
