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成田山新勝寺奥之院 [戻る]【住所】 千葉県成田市成田1番地の1 【宗派】 真言宗智山派 【本尊】 不動明王 【創建】 940年(天慶3年) 【開基】 寛朝僧正 【授与所】本堂、光明堂、醫王殿、平和大塔ほか 【授与品】各種御守、絵馬、御札、数珠、掛け軸、各種御朱印、御朱印帳 【駐車場】あり 【HP】 https://www.naritasan.or.jp/ 【御由緒】https://www.naritasan.or.jp/about/history/ 成田山新勝寺はとても広大でお堂の数も多く、1ページにまとめると長くなりすぎるのでエリアごとにご紹介します。でこちらは奥之院です。本堂と釈迦堂の間を抜けると階段とエレベーターがあり、一段高台へ上がった所です。そのエレベーター出てすぐの所にあるのが天満宮です。 江戸時代以前の神仏習合の習慣に倣って、お寺の中に神社があります。天満宮ということで学問の神様として知られる菅原道真公をお祭りしているので、学業成就、合格祈願のご利益があります。しかも上の写真の右端を見るとわかりますが、このお宮では別途絵馬をお供えすることもできます。 天満宮の近くにあるのが朝日観音堂です。 奉納された絵画、参拝者や檀信門徒の名が刻まれた木札を額に入れて飾っておくための建物です。そのため、視界をよくするために1階部分は吹き抜けになっています(ル・コルビュジェ風に言ったらピロティ―か?)。中が広いので、雨の日なんかは雨宿りするのにちょうどいいですね。 しかもここの額堂の場合、軒下にいろいろなものが陳列されていました。青銅製の地球儀や梵鐘などが飾られている中で、一際異彩を放つのが下の石像です。 成田屋七代目市川團十郎の石像です(2025年時点での当代は、十三代目市川團十郎白猿)。團十郎家の屋号が成田屋なのは、初代團十郎がこの成田山新勝寺に深く帰依し歌舞伎役者として大成したことで、その名にあやかって付けられたからです。 そして七代目は江戸末期に活躍した役者で、歌舞伎十八番を制定したり、その中の一つで團十郎しか主役を許されないとされる名演目「勧進帳」を創作したりと、歌舞伎界に多大な貢献をした人物です。 そんな訳で成田山と縁が深いので、成田屋の役者さんは毎年節分祭に参加し豆まきを行っています。 寛朝とは平安時代中期の真言宗僧侶で、宇多源氏の祖宇多天皇の孫。祖父の下で出家し日本で3人目の大僧正になった人物です。平将門が関東で反乱を起こした際にわざわざ下向し不動明王に祈祷をしたそうで、その時の不動明王を本尊としているのがここ成田山新勝寺とのことです。 その開山堂の斜向かいにあるのが三社です。白山明神、金毘羅大権現、今宮神社からなり、この奥に控える光明堂への参拝の前段階とて祈りをささげる場として祭っています。 白山明神:本来は山岳信仰の御祭神。神道では山岳=女神とされており、女性や子供を護る子授け子育ての神様。 金毘羅大権現:香川県の金刀比羅宮が本宮で、海神として知られる。航海の安全、大漁祈願のご利益を司る。 今宮神社:農業の神様。五穀豊穣を司る。今でも田畑の多いこの周辺の農家にとって重要な神様。 他にも石碑などがまとめられた一角も。 そしてこちらが奥之院の中心的な建物、光明堂です。旧本堂(現:釈迦堂)の前の本堂で、現本堂の2代前の建物にあたります。江戸中期1701年(元禄14年)の建立で、水戸黄門の名で知られる徳川光圀が亡くなったり、忠臣蔵で知られる松の廊下事件があったりした年に完成しました。当時は武士を中心とした元禄文化が花開いた時代で、このお堂もその影響を受けているようです。 元々本堂であったことから割と大きい建物で、向かって左側に不動明王、正面に大日如来、右側に愛染明王を安置しています。本来愛染明王は恋愛とは無関係なのですが、愛の字が入っていることから恋愛成就を祈願する人が多く、専用の絵馬もあるとのことです。 その他の成田山関連スポット 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |