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常寂光寺 [戻る]【住所】 京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3 【宗派】 日蓮宗 【本尊】 十界大曼荼羅 【創建】 文禄5年(1596年) 【開山】 日禎 【開基】 延壽院 【文化財】多宝塔(重要文化財) 【最寄駅】嵯峨野トロッコ トロッコ嵐山駅 JR山陰本線 嵯峨嵐山駅 【HP】 https://jojakko-ji.or.jp/ 【概要】 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、京都市右京区嵯峨小倉山小倉町にある日蓮宗の寺院。山号は小倉山。本尊は十界大曼荼羅。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、境内の庭園には200余本のカエデが植えられており、秋は全山紅葉に包まれる。 平安時代に藤原定家の小倉山荘「時雨亭」があったと伝わる地である。 安土桃山時代末の文禄5年(1596年)に小笠原秀政の母で日野輝資の養女である延壽院が開基となり、日蓮宗大本山本圀寺第16世日禎が隠棲の地として当山を開いた。その常寂光土のような風情から常寂光寺の寺号が付けられたとされる。 歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以とその従兄弟の角倉栄可である。境内は第2世日韶(日野輝資の子)の時代に小早川秀秋らの助力を得て、整備が行われた。 ウィキペディアより 嵐山界隈には数多の山寺がありますが、ここ常寂光寺もその一つです。この辺りのお寺は山荘を兼ねた、もしくは端を発したものが多く、常寂光寺も例外ではありません。歌人として有名な藤原定家の山荘「時雨亭」の跡地の候補地として考えられており、教科書や歌留多、映画「ちはやふる」でおなじみの小倉百人一首の編纂もここで行ったのではないかと言われています。 ※現在時雨亭跡地には、隣の二尊院経由でないとたどり着けません。 そんな常寂光寺を見てまいります。 まずは山門です。 非常に簡素で小振りの門です。全体的に黒みがかっていて、シックな面持ちです。如何にも山荘の入り口といった感じで、渋くて趣があります。 余談ですがこの山門のすぐ近くに小さなお茶屋さんがあって、帰りにそこで暖かい甘味(抹茶ぜんざいだったかな?)を頂きました。抹茶の心地よいほろ苦さと程よい歯ごたえのお餅とで、体が温まりました。 しばらく坂を登っていくと、木立の間に紛れるように仁王門が現れました。 年季の入った朱塗りの柱とお寺では珍しい茅葺屋根が特徴で、山村を思わせるようなたたずまいです。この景色は、千年の都にして大都会の政令指定都市とは思えない、のんびりとした風情を感じます。 この先にもまだまだ石段は続きます。 石段を登り切りました。一番上から下をのぞくと、先ほどの仁王門が見えます。ここから見ると結構急峻で、かなり高低差があるのがわかります。 それにしても古い門に苔むした山肌の中で、石段だけは割と新しそうな感じがします。なんででしょうね?近年改修したのかな? 本堂の扉が開いていなかったので、外からお祈りしました。 名前は妙見宮といいます。妙見菩薩と呼ばれる「仏様」を祭っているので、神社やないやん!ってツッコミたくなります。まあ、鳥居は仏教から来てると言われてるし、神仏習合もあったことからこうなったんでしょうけどね。 本堂の裏には池もあります。 土手と本堂に挟まれた薄暗い中にあるので、どこかキレイに見えない・・・。やはり、池を美しく見せるにもロケーションって大事だなと。 そんな妙見宮と池の間の通路を進むと、緩やかな坂が現れました。生け垣で仕切られた石段になっていて、左側は竹林が広がっていました。 多宝塔です。国の重要文化財に指定されています。多宝塔なので、二層目が円筒形になっているのが特徴です。春なので花々と若葉に囲まれた、この時期ならではの風景を見せてくれています。 山道が奥まで続いていたので行ってみると、多宝塔を裏から見れました。 こちらの方が、もっと絵になるかもしれません。ピンクの花や松の木など、植物の種類が豊富でかなりにぎやかな植生になっています。その隙間から多宝塔が顔を出していて、一体になっています。遠方には北山の峯がかすかに見え、借景になっているのも乙です。 では御朱印です。帰りに拝観受付で頂けます。何種類かあって、それぞれ中央の文言が異なるのですが、私は下のものを選びました。 意味はよくわかりませんが、質直意柔輭の文言にどこか気を惹かれました。本質を見極めるのも大事だし、素直である事も重要で、尚且つ柔軟性を持って対処するのが世渡りのコツであると解釈しました。 ちなみに右上に天狗の団扇らしき形の判があるので、何か天狗信仰や修験道と関係があるのかもしれないです。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |
