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阿弥陀寺 [戻る]【住所】 京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14 【宗派】 浄土宗 【本尊】 阿弥陀如来 【創建】 天文24年(1555年) 【開基】 玉誉清玉 【山号】 蓮台山 【院号】 総見院 【概要】 天文24年(1555年)に浄土宗の玉誉清玉が、近江国坂本に創建したのが当寺の始まりである。その後、清玉は自身と縁のある織田信長からの帰依を得ると、上京の今出川大宮に寺基を移す。 天正10年(1582年)6月2日に信長が本能寺の変で自害すると、清玉は自ら合戦中の本能寺に赴いて信長の遺灰を持ち帰り、墓を築いたとされている。後に織田信忠の遺骨も二条新御所より拾い集め、信長の墓の横にその墓を作ったという。さらに本能寺の変によって討死した名の分からぬ多数の犠牲者も当寺に葬って供養したという。 天正13年(1585年)に豊臣秀吉の京都改造により現在地に移転した。 延宝3年(1675年)11月25日に火災にあい、信長の木像、武具・道具類などの遺物が焼失した。焼け残ったものは大雲院に移されたが、同院でも再び火災にあって今ではほとんど残っていない。 美作国津山藩の4代藩主・森長成は毎年6月2日に法要をし、信長公百年忌も執り行ったというが、森家の改易後は御茶湯料の寄進はなくなったとする。 1917年(大正6年)に勅使が来訪し、当寺の信長の墓は「織田信長公本廟」として公認された。 ウィキペディアより 社会一般には織田信長のお墓といえば本能寺と思われていますが、実はここのは供養塔で遺灰はありません。では本当のお墓はどこだろうと思っていると、織田信長公本廟を名乗るお寺があるとのことで行ってみました。それが、京都の上京区にある蓮台山阿弥陀寺です。 山門前に着きました。織田信長公本廟と書かれた標識があります。ただ正直、見た感じそんなに大きなお寺ではなさそうな感じがします。なにせ戦国の覇者、天下人織田信長ですからね。 御朱印帳を寺務所へ預けて、いきなりお墓へ参ります。 お堂の間をすり抜け、お庭を突っ切って行くと、ありました。石畳の先の台座の上に墓石があって、ちゃんとわかるように立て看板があります。 ただ・・・ 小さっ! いくら本能寺の変で自害し急遽作らなくてはならなくなったとはいえ、墓石が地方の小豪族くらいの大きさしかない。台座を作って嵩上げはしてるから一応それなりの体裁にはなっているものの、日光にある徳川家康の立派なお墓と比べると何と貧相な・・・。クーデターを起こされちゃった人は、こういう扱いになるんですかね? ところで、墓石が二つ並んでいますが、一方は嫡男の信忠のお墓です。信忠も本能寺に居合わせており、明智光秀の襲撃に巻き込まれて横死したため、父子で埋葬されました。 さらに壁際にはもう一人有名な人物のお墓が・・・ 森蘭丸 信長の小姓(主の世話をする付き人の少年のこと)として有名で、蘭丸も付き人として一緒にいたために弟の坊丸、力丸共々巻き込まれて亡くなってしまいました。特に蘭丸は信長からの寵愛を受けたと言われ、夜伽(よとぎ:主の寝つきに付き合ったり、お戯れをしたりすること)のお相手をしていたとかいないとか。 なので、本能寺の変の犠牲者はまとめてここ阿弥陀寺に葬られたのだと思われます。 墓参を終えて寺務所へ帰ってくると、御朱印が出来上がっていました。御朱印帳を開いて見ると・・・ お~、格好いい! さすがは織田信長の菩提寺。織田家の家紋である織田木瓜(五割り木瓜)が、真ん中にドーンと入っているのが如何にもです。信長公の名が書かれているのも、いいですね。というか、何でも信長の名があるとインパクトを感じてしまう。この御朱印はぜひとも欲しい一枚ですね。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |