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三十三間堂(蓮華王院) [戻る]【住所】 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657 【宗派】 天台宗 【本尊】 千手観音(国宝) 【創建】 長寛2年(1165年) 【開基】 後白河天皇 【最寄駅】京阪本線 七条駅 【HP】 https://www.sanjusangendo.jp/ 【概要】 久寿2年(1155)、第77代天皇として即位した後白河天皇は、わずか3年で二条天皇に位を譲って以後、上皇として「院政」をおこないました。三十三間堂は、その御所に長寛2年(1164)造営されましたが、80年後に焼失し、まもなく後嵯峨上皇によって再建されました。 その後も手厚く護持され、室町期・足利第六代将軍義教により本格的な修復がおこなわれました。彼は仏門に入って、比叡山・天台座主を勤め、京洛の禅寺に修理の寄付勧進を命じて、屋根瓦の葺き替えをはじめ、中尊・千体仏など内外両面の整備をおこないました。 当時、交通の要所だったこの地に目を向け、後白河院や清盛の栄華にあやかろうと思い立った秀吉は、その権勢を天下に誇示するため奈良大仏を模した大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営し、お堂や後白河院の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築きました。今も、その遺構として南大門・太閤塀(ともに重要文化財)が残っています。 お堂の修理も千体仏をはじめとして念入りに遂行され、その意志を継いだ秀頼の代まで続きました。大仏殿は、文禄4年(1595)9月に完成し、千人の僧侶により落慶供養されたといいます。 秀吉は、死後「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」という神格として祀られ、お堂東隣の阿弥ケ峯には壮麗な社殿が造営されました。 HPより 京都でも指折りの観光名所、三十三間堂に来ました。無数の千手観音像で有名な、あの寺院です。正式には蓮華王院といい、近隣にある妙法院の飛び地なのだそうです。よく修学旅行のコースにも選ばれるし、学生時代に参拝したという方も多いのではないでしょうか。 では、駐車場から中へ入ります。 本堂にあたる三十三間堂です。ここから見ると遠近法の関係で、かなり長く見えます。こんなに横に細長い本堂なんて、よく考えると珍しいですよね。お陰で縁側も前庭も長いので、ここで弓道の競技の一環として安土桃山時代から通し矢が行われていたことで有名です。現在は前庭で、遠矢の大会に姿を変えて行われています。なので、日本の大弓を持った人を境内でチラホラ見ました。 ちなみに肝心要の千手観音像ですが、内部が撮影禁止だったため写真はありません。すまん!パンフレットでも見てください。 ところで三十三間堂のすぐそばには、開基した後白河天皇の御陵があります。 後白河天皇は第77代目にあたり、退位後は院政を敷きながら権力をめぐって平清盛と対立。清盛死後、平家討伐の宣旨を行い、源平合戦の切っ掛けを作ったことでも知られます。源頼朝とは一定の協調を見せ、武家政権である鎌倉幕府の誕生にも一役買いました。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |