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八坂神社 [戻る]新撰組の近藤勇、沖田総司ゆかりの神社 【住所】 東京都日野市日野本町3-14-12 【主祭神】素盞鳴尊(すさのおのみこと) 【創建】 不詳 【例大祭】9月中旬の土日 【末社】 八幡社、山王社(日枝神社) 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】御朱印、御朱印帳、お札、御守、絵馬など 【駐車場】あり 【HP】 http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/minamitama/hino/5933/ 【御由緒】 創立年代は不詳であるが、むかし日野本郷の多摩川の流れに沿って土淵という深淵があり、それでこの付近を土淵の庄と云ったが、あるとき多摩川洪水の後、数夜にわたってその淵に何か怪しい光るものがみえたと云う。里の老翁がこれを拾い上げたところ、金色燦然とした牛頭天王の神像であったため、里人は歓喜してこれを勧請し、祠を建立、鎮守として祀ったのが当八坂神社の起源と云われ、五穀豊穣・疫病除け・子孫繁栄に霊験無双の神なりとしてある。 本殿は、寛政一二年(1800年)に完成したもので、様式一間社造り、屋根は流れ造りで、正面に千鳥破風・軒唐白木彫りの彫刻垂木の組物等、建築技術の粋をつくした絢爛華麗な江戸後期の典型的な社殿(本殿)建築である。この本殿には、安政五年(1858年)に天然理心流近藤周助の門人達により奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられている。 例大祭は、毎年九月、盛大に行われ、特に「千貫みこし」とよばれる神社神輿の渡御は都内、近県でも有名な神事で、絢爛豪華な祭絵巻が繰り広げられている。 神社内説明板より 元々日野は甲州街道の宿場町として発展した街です。北側には多摩川があり、渡し船が運行されていました(日野の渡し)。その南岸の湊に当たるのが日野津で、ここで船を下りた旅人がすぐに寝泊りできるように作られたのが日野宿です。 元亀元年(1570)に北条氏照により別当寺である普門寺とともに遷座され、今の場所に建っているそうです。 それはそうと、鳥居をくぐって右を向くと、小さい石碑がポツポツと。 ここで新撰組とのつながりについて。日野本郷で名主をしていた佐藤彦五郎という人がいまして、牛込に道場があった天然理心流(てんねんりしんりゅう)という剣術に入門したのがきっかけです。これにあたって彦五郎が日野に稽古場を作り、その出稽古の際に教えていたのが近藤勇なのだそうです。そこへ門下となるべく通っていたのが沖田総司だそうで、この二人ほか連名で剣術額を日野八坂神社へ奉納したのだそうです。 ちなみに新撰組の鬼の副長として有名な土方歳三はこの辺りの出身で、近藤勇と沖田総司とは日野で知り合ったのだそうです。 その奥に建つのが八幡社です。鎌倉の鶴岡八幡宮から勧進されたそうです。八幡社は応神天皇がご祭神で、勝ち運の神様として崇拝されています。 現在は厳島神社も合祀されているとのこと。厳島神社は水利・水難除けの神様とされていて、水にかかわる土地に建てられていることが多いです。日野も渡し船があったことから、水とは切っても切り離せない関係があるため建てられたものと思われます。 さらに金剛像と弁財天像も安置されています。特に弁財天は芸事の向上と財運を運んでくるとされていて、人気の仏像です。 そしてこちらが社務所です。玄関右のカウンターで授与品をいただけます。手前の看板にはその時々に配布中の御朱印のサンプルが飾られていて、見るだけでも楽しいです。種類が豊富なので、より取り見取りなのですが、迷ってしまいそうです。 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |