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鉄砲洲稲荷神社と鉄砲洲富士 [戻る]中央区唯一の富士塚と歌川広重の絵のモチーフになった 【住所】 東京都中央区湊一丁目6-7 【御祭神】稚産霊神・豊受姫大神・宇迦之御魂大神 【創建】 承和8年4月15日(ユリウス暦841年5月9日) 【例大祭】5月2日~5日 【社務所】あり 【ご神職】常駐 【授与品】御守り、絵馬、お札、御朱印など 【バリアフリー】なし 【駐車場】なし 【HP】 http://www.teppozujinja.or.jp/ 今回訪れたのは八丁堀にある鉄砲洲稲荷神社です。湊にあるということで、江戸時代には吉田家から湊神社とも呼ばれていたようです。この吉田家は古くは卜部氏と呼ばれ、京都の吉田神社の神職を務めたり、徒然草で有名な吉田兼好を輩出した公家で、大河ドラマ麒麟がくるの主人公である明智光秀とも親交があった家です。 早速、中に入ります。 まずは主祭神様への参拝の報告が先なので、お清めをしてご本殿へ向かいます。 この神社は関東大震災の被害を受けたとのことで、建物の多くが昭和10年(1935年)の再建だそうです。ただ幸いにも、東京大空襲の戦火からは免れたそうで、昭和初期の社殿を今に伝えています。屋根の形からして江戸時代に流行った権現造りかと思われます。 ちなみにご本殿と神楽殿にはさまれるように、二宮金次郎の像がありました。近所の小学校からもってきたのかな?神社それも天満宮ではないところにあるのが謎です。まあ、二宮金次郎は小田原藩の財政を立て直したので、お金がらみという点ではお稲荷さんと共通してるけど。 本殿の右脇を見ると、力石が何個かありました。東京の神社では度々見ますね。江戸時代以降よく力自慢のために作られたみたいですが、ご他聞にもれずここにもありました。今は持ち上げる人はおらず、文化財として飾られているのみです。 その奥を進むと、ひっそりと富士塚がありました。かなり大きなもので、中央区唯一だそうです。何度か移築されているようで、初代のものは寛政2年(1790年)に造られたようです。その後、5度移築され現在のものは昭和11年(1936年)の築で高さは5.4mとのこと。江戸時代はもっと高かったようです。 鉄砲洲稲荷近くのホテル ついでに行きたい近くの寺社 最近の注目記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |