メニュー
  • トップページ
  • 東京都
  • 神奈川県
  • 千葉県
  • 栃木県
  • 山梨県
  • 長野県
  • 京都府
  • 御利益・テーマ別

ネットショップのコツ
  • ネットショップのイロハ

井草八幡宮
[戻る]
【住所】 東京都杉並区善福寺1-33-1

【主祭神】八幡大神(古代では春日神)、応神天皇

【創建】 不明(平安時代末期に神社として確立)

【例大祭】例大祭宵宮祭(9月30日)
     例大祭当日祭(10月1日)
     行事(10月2日)など

【末社】 三宮神社、浅間神社(富士塚)など

【社務所】あり

【ご神職】いる

【授与品】御朱印、御朱印帳、御守、御札、各種おみくじ、絵馬、破魔矢

【駐車場】約40台分

【HP】  https://www.igusahachimangu.jp/index2.html

【御由緒】
 井草八幡宮は、南に善福寺川の清流を望み、今なお「武蔵野」の面影残る秀麗の地に鎮座し古地名を冠して遅野井八幡宮とも称せられました。
善福寺川の源泉である善福寺池が豊富な湧水であったことから、この付近にはかなり古くから人々が生活していたと考えられ、境内地及びその周辺地域からも縄文時代の住居跡や土器等が発見されています。
 当宮は創建当時、春日社をお祀りしていましたが、源頼朝公が奥州藤原泰衡征伐の際に戦勝祈願をして立ち寄ったと伝わっており、それ以来八幡宮を奉斎するようになりました。奥州平定後、源頼朝公が報賽のため手植えしたと言われる松が当宮社殿前に雌雄二本植えられておりましたが、雌松(赤松)は明治初年に枯れ、都の天然記念物であった雄松(黒松)は昭和四十七年に強風で大枝が折れ、翌年には残念ながら枯れてしまいました。(現在は、二代目の松が植えられています)
 源氏が八幡神を氏神として尊崇したことから武神の性格が強く、室町時代には石神井城の豊島氏征伐のため、扇ケ谷上杉家の執事太田道灌が戦勝祈願をしたとも伝えられています。江戸時代には、三代将軍徳川家光による六石余の朱印領 (将軍の朱印状によって領有を認められた土地)の給付、また寺社奉行井上正利に社殿造営をさせるなど、篤く崇敬されていました。
 また、旧上井草・旧下井草は、正保二年(一六四五)以降、奥高家である今川氏の領地となり、とりわけ今川氏堯によって寛文四年(一六六四)に本殿の改築等なされ、寄進された一間四方の本殿は杉並区最古の木造建築物となり、現在も本殿として覆殿に納められています。
 明治以降も氏子崇敬者によって社殿の改修、境内の整備が行われ、都内でも有数の広さ(約一万坪)を誇り、現在は神社本庁別表神社に指定されています。

HPより
 今回の初詣最大の目的地、井草八幡宮にやってきました。以前荻窪に住んでいた頃にも訪れたことはあるのですが、その頃はまだ御朱印を知らなかったので、この機会に再度参拝しました。駅からかなり離れているので、バスやタクシーで来ないと遠いのが玉に傷。でもちょっと奥まったところに善福寺公園や東京女子大学がある閑静な住宅街の中に鎮座しています。

 井草八幡宮バス停を下りてすぐ見えてくるのが東参道です。

 このように大きな鳥居と真っ直ぐ続くだだっ広い東参道がお目見えします。この参道を使って5年に一度流鏑馬神事を行うそうです。なので参道左端をよく見ると、一の的、二の的などと書かれた目印があります。ちなみにこの日は1月3日ということで、多くの出店があって賑わっていました。

 そんな流鏑馬神事の馬場を兼ねた参道を右に左にと折れて進んでいくと、朱塗りの柱が美しいひと際色鮮やかな門が見えてきます。

 井草八幡宮の楼門です。緑の格子の中に陏神と呼ばれる守衛のための老若の男神像が一対であります。建物は純和風建築なので一見木造に見えますが、昭和になって建てた鉄筋コンクリート造だそうです。

 楼門をくぐって中へ入ると、広場の中央に松の木がポツンと1本だけ生えています。

 これは頼朝公お手植えの松です。あの鎌倉幕府初代征夷大将軍源頼朝公が、ご自身の手でお植えになったと伝わる松の木です。源頼朝といえば今から約800年前の人物ですから、その頃からあるということになります。源平合戦と奥州征伐を勝ち抜いた頼朝公ですから、勝運にあやかれるかもしれません。

 そこから右手を見ると神門があります。これをくぐると、いよいよ拝殿です。そう簡単には見えないよう、周囲に塀が廻らされています。

 ただまあ、かなり大きい神社だけあって初詣客がかなり多いこと。そんじょそこらの神社とは格が違うんだなと思います。確かに境内もかなり広いですし、社殿も沢山ありますし。

 しばらく待って、ようやく拝殿へ到着です。敷地の割にはそんなに大きくない拝殿です。建築様式は、木造の権現造でしょうか。八幡宮ではよく見るスタイルです。

 参拝を終えて左脇の出口から出るとすぐに御神水がありました。手水舎みたいに龍口から出てくるのかと思いきや、思いっきり普通の蛇口でした。まあ、今年がへび年なのを考えると逆に合ってるのかもしれませんが。真榊用に用いるといいかもしれません。

 授与所の奥に境内社や末社がいくつかありました。三社ありますが名前が書かれていなかったため、どんな神社かまではわかりません。

 南側には招神殿と呼ばれる建物もあります。元々はこちらの建物が拝殿として使われていたとか。現在は祖霊社として、戦で亡くなった方をお祭りしているそうです。

 その招神殿の一角が舞台のようになっているので、お正月期間中ということもあり本日はお琴の演奏会をやっていました。中を覗くと天井に数多くの奉納額がありました。井草八幡宮の境内を描いたものや、昔の身分の高い参拝者を描いたものなど様々。白馬を描いた正真正銘の絵馬もありました。

 あとは神楽殿ももちろんあります。この日は閉め切っていて見ることができませんでしたが、結構立派な造りのようです。例大祭の時に里神楽を舞うのに使われる他、狂言や能も披露されるようです。

 手水舎の裏にも末社があります。こちらには三宮神社と書かれています。社名だけだと御祭神がよくわかりませんが、三宮という名前から山幸彦かなと思います。日本神話に出てくる、海幸彦山幸彦の山幸彦です。なので、山の安全や商売繁盛を司るのかもしれません。

 帰りは北参道を通りました。東参道とは異なって、赤く大きな灯篭が一対立っています。なかなかこんなに大きなものは見たことがありません。この神社がいかに大きいかがわかります。こちらの参道は井草八幡前交差点に面しており、傍には善福寺交番もあります。

 ちなみに上の写真の右手に道路があるのですが、この道を真っ直ぐ行くと善福寺公園と善福寺川の源流である善福寺池があります。ついでにこの辺りの住所は杉並区善福寺です(くどいかw)。

 最後にもう一つ見に行きます。それは駐車場の一角にあります。

 入口に石鳥居が立ち、鉄策で囲われた参道の奥にポツンと小さな祠が見えます。こちらの神社も井草八幡宮の末社で、浅間神社と言います。察しのいい方だったらこの名前を見ただけで、何を祭っているのかわかると思います。ではこちらの写真をご覧ください。

 富士塚です。江戸時代の人が富士山へ行けない人のために造った富士山のミニチュアです。お年寄りや病傷人はもちろん、かつて富士山は女人禁制だったためこういった方でも参拝できるようにと、江戸を中心に各地に富士塚が作られました。都市化に伴って取り壊されるものも多い中、ここは敷地が広く神社の境内ということもあって未だ健在です。詳しくは説明板をお読みください。

 では御朱印です。令和七年はへび年ということで、金色に輝く蛇の絵が入っております。通常奉拝の字が入る箇所には、当地の旧名である遅ノ井村と旧社号の遅野井八幡宮の名が入っています。現在は井草の名称のほうが知られていますし、遅の字のイメージが良くないことから変えたものと思われます。

 では、今年一年へびのご利益がありますように。


ついでに行きたい近くの寺社
【荻窪八幡宮】荻窪エリア

荻窪警察署の向かいに建つ八幡神社
太田道灌ゆかりの御神木道灌槇が名物
杉並アニメーションミュージアムも目の前

注目の記事
【勝ち運の神様、諏訪大社総まとめ】

戦国最強の騎馬隊を率いた武田信玄に崇拝され、
日本に数多く点在する諏訪神社の総本社を務めるのが、諏訪大社。
しかも他の系列の神社とは異なり、二社四宮に分かれて鎮座する謎に満ちた
「お諏訪さま」について、まとめました。

さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ
【開運グッズのスタンプ・着せかえ・絵文字】

参拝だけでなく、普段から持ち歩くことでさらに運気アップ!
御朱印、御守り、お札、絵馬、おみくじなど
開運アイテムのコンテンツで2021年も幸せに!
恋愛運 金運 健康運 仕事運 総合運

上に戻る






ごしゅトコ サービス案内
トップページ | 東京都 | 神奈川県 | 千葉県 | 栃木県 | 山梨県 | 長野県 | 京都府 | 御利益・テーマ別 | ネットショップのイロハ |
Copyright 2024 ©ごしゅトコ All Rights Reserved.
Powered by LCK cloud
ホーム 会員登録 ログイン