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高円寺氷川神社と気象神社 [戻る]日本唯一の天気の神様 【住所】 東京都杉並区高円寺南4-44-19 【御祭神】素盞嗚命 八意思兼命など 【創建】 文治5年(1189年)または天文年間(1531年~1544年) 【例大祭】8月最終土日 【末社】 気象神社(日本唯一の神社) 御嶽神社 日枝神社 伏見稲荷神社 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】お守り・下駄絵馬・お札・おみくじ・御朱印など 【駐車場】本殿脇の空きスペースに停めてよいとのこと 【バリアフリー】なし 【その他】現在御朱印は書置きのみ。御朱印窓口にて授与。 【HP】 https://koenji-hikawa.com/ 【ご由緒】江戸名所絵図によれば、その昔、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国杉並の地に至り給り際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、終に農民となる者あり。 一説によれば、村田兵部稟云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)、その時、武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く採松杉繁多し遠く木田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。従って農業の神とされている。 大正6年8月15日編纂の東京府豊多摩郡神社詩によれば、当社は古来、高円寺村小名原の鎮守にして旧時曹洞宗高円寺別当職として奉仕せり。高円寺は往年数回々禄の災いあり。 旧記を焼火して社伝明らかならざるも口碑によれば、天文の頃、高円寺創建と同時に瓶記されたるものなりと云う。 明治維新後、別当職を廃し、明治7年4月3日、社格を村社に被定し、同40年5月4日、神饌幣帛料供述神社に列し、同40年12月26日、会計規則適用方指定せられたり、太平洋戦争後、即ち昭和20年8月15日以降は宗教法人氷川神社となり現在に至る。 出典:氷川神社HP 高円寺の駅前にある氷川神社です。最近は知名度も高くなり、行ったことある方も多いのでは。例年初詣では、行列ができます。 神社ではありがちですが、坂の上、台地の縁にあります。古来、農業の神様として崇められていたらしく、高いところから桃園川沿いの田畑を見守っていたのではないでしょうか。 社殿が現代的なのは、戦後になってから再建されたから。昭和20年(1945年)5月25日東京大空襲により被災し、焼失。昭和22年(1947年)9月18日に一時再建されたものの、仮の社殿だったために、昭和46年(1971年)10月14日に現在の姿になったそうです。造りとしては鋼板葺きの神明造でしょうか。 さてさて、高円寺氷川神社と言えば、境内社のほうが有名ですね。日本唯一の気象神社ですよ。もちろん参拝します。 はい、こちらです。まあ、境内社なので大きくはないですね。祀っているのは、天照大御神を天の岩戸から出す知恵を授けたとされる、八意思兼命です。太陽神である天照大御神を救ったことから、天気の神様とされるようになったとか。 ちなみに、上の写真の左端に絵馬が写っていますが、なぜ下駄の形なのかご存知ですか?それは、昔お天気占いとして履いていた下駄を飛ばしていた風習になぞらえたからだそうです。 創建は1944年(昭和19年)4月と、神社としてはかなり新しい。元々は旧日本陸軍気象部(杉並区馬橋地区)の敷地内に造営されたもので、気象部員の心のより所となっていたそうです。というのも、気象条件によって作戦が左右されるため、正確な気象観測と予報が必要だったからです。 ただ、戦後GHQの指導によって全国の神社も日本軍の施設も撤去の対象となっていったにもかかわらず、気象神社は調査漏れで対象外に。氷川神社の宮司さんが受け入れを表明し、現地に移転したんだそうです。 ただし、老朽化のため当時の社殿は現存せず、2003年(平成15年)6月に現在の社殿に建て替えられました。 小さくても、ちゃんとてるてる坊主の形になってます。子供の頃、大事な日の前日に晴れを願っててるてる坊主飾ったものだけど、懐かしいですね。 ちなみに、おみくじも引いたのですが、これもてるてる坊主の形でした。しかも、色分けされていて、その色ごとにご利益が違うとか。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |