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金乗院(目白不動尊) [戻る]【住所】 東京都豊島区高田2丁目12番39号 【宗派】 真言宗豊山派 【本尊】 聖観世音菩薩像 【創建】 文禄3年(1594年)以前 【開山】 永順 【最寄駅】東京メトロ副都心線 雑司が谷駅 都電荒川線 学習院下電停 【概要】 金乗院(こんじょういん)は、東京都豊島区高田にある真言宗豊山派の寺院である。山号は神霊山。江戸三大不動・江戸五色不動のひとつ、目白不動尊を祀っていることで知られている。 当寺院は、開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされている。永順は1594年(文禄3年)に没しているのでそれ以前の天正年間の頃(1573年(天正元年)- 1592年(文禄元年))の創建ではないかと推定されている。当初は中野にある宝仙寺の末寺で蓮花山金乗院と称したが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となった。江戸時代までは近隣の木之花開耶姫社の別当なども務めていたが、第二次世界大戦による戦災で本堂や徳川光圀の手によるものとされる木此花咲耶姫の額などが焼失。現在の本堂は1971年(昭和46年)に再建されたものである。また目白不動尊は、元々は当寺院のものではなく、1キロほど離れた関口駒井町(現在の文京区関口)にあった新長谷寺という寺院にあったものであった。 新長谷寺と目白不動尊 新長谷寺(しんちょうこくじ)は、山号を東豊山(とうぶさん)といい真言宗豊山派の寺院であった。当寺院にあった不動明王像は唐から帰ってきた弘法大師(空海)が出羽・湯殿山(一説には羽黒山)に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像で、それが武蔵国関口(現在の文京区関口)に住む者の手に渡ったといわれているがその詳しい年代はわかっていない。その後、この寺院は江戸時代に入り元和4年(1618年)に奈良・長谷寺の僧・秀算によって中興された。秀算は二代将軍・徳川秀忠の命令によって長谷寺の本尊と同じ十一面観音像を造り、本堂などを建立し新長谷寺と命名した。寛永年間に三代将軍・徳川家光により、新長谷寺の本尊である不動明王像に五色不動のひとつとして『目白不動』の名を贈り、以後この不動明王像は目白不動明王と呼ばれるようになったという。また一帯の高台も目白台と呼ばれるようになった。(これは現在の地名になっている目白や目白台の起源になっている)その後、この寺院は五代将軍・徳川綱吉や桂昌院の帰依を受けて発展した。また江戸市民に時を告げる時の鐘を備えていた。しかし、新長谷寺はその後第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺となってしまった。本尊の目白不動は金乗院に移され、現在に至るまで金乗院が目白不動尊として信仰を得るようになっている。 Wikipediaより 今回参拝したのは、神霊山金乗院慈眼寺です。目白不動尊の通り名で知られるお寺ですね。江戸五色不動の一角で、目白の地名の由来となったお寺です。ブラタモリの目白の回でもこの辺りを散策して、そのルーツと変遷についてブラブラ解き明かしていましたね。 この辺りは非常に坂道が多く、のぞき坂、稲荷坂、富士見坂、日無坂、小布施坂、幽霊坂など、名前がついているところが多くあります。目白不動尊も坂道の途中にあり、宿坂と名がついています。 その宿坂に面するように、山門が立っています。古木のシックな色合いの中で、山号を書いた金色の扁額が目立っています。 左右の柱には、関東三十六不動霊場納経所と江戸三十三観音霊場第十四番札所の掛札もあって、開運ツアーへ誘っています。江戸時代から日本人は番付やランキングが大好きでしたから、○○選とか第○○番とかピックアップされると特別感があって引きつけられる癖があるんですよね。 ちなみにこの山門の左裏には、水子地蔵の銅像があります。 そんな山門をくぐって中へ入ると、いきなり右手に大きな本堂がお目見えします。 見ての通り木造ではなく、コンクリート造の新しい本堂です。第二次世界大戦時の空襲で焼けてしまったそうで、戦後昭和年間に再建されたのだそうです。この本堂には御本尊の観世音菩薩を安置しています。有名な目白不動尊はここにはありません。 その手前には地蔵菩薩の銅像や俱梨伽羅不動尊の石像(※目白不動尊はこれとは別のもの)、宝篋印塔なんかが横並びに立っています。 その奥には寺務所の建物があります。本堂と寺務所の間に銅像が立っていますが、これは真言宗開祖の弘法大師空海です。 寺務所には授与所専用のカウンターがなく、インターホンで応答してから左の扉を入るとある小上がりにて、職員の方が対応してくれます。御朱印2種類の他、御守も数種類あります。 寛政12年(1800年)に建立された刀剣の供養塔だそうで、それだけに鍔のデザインになっています。非常に珍しい石碑です。 でここまでざっと見てきましたが、肝心要の目白不動尊はどこなの?と辺りを見回しますと、境内の端の高台に何やらお堂が。これは怪しい・・・。 おー、ありました。目白不動尊! この中に五色不動のひとつが安置されています。ちゃんと香炉もあって、丁重にお祭りしています。右にはお地蔵さんの石像が一列に並んでいて、ちょっとあの世のような雰囲気になっています。 もしかしたら不動様のお姿を見れるかと思い、扉からのぞいてみました。すると日差しの加減なのかちょうど不動様が輝いていて、全身を見ることができました。ここの不動像はデザインが特殊で、切り落とされた左腕の切り口から炎が噴き出している格好になっています。火焔の後背をまとうデザインはよく見ますが、腕から噴き出すという設定は見たことがないですね。 梵字を押印するのは、真言宗の定番ですね。江戸三十三観音霊場の印も右上に押してあります。観世音菩薩の御朱印ですが、通り名が有名ということで目白不動尊の印も左上に押してあります。 しかも寺号である慈眼寺の名よりも院号のほうが知られているとのことで、金乗院の名が書かれています。 そして金乗院の秘仏、目白不動尊のバージョンです。 梵字が不動明王のものにチェンジしています。右上の印がかすれていて見ずらいですが、関東不動尊第十四番と書いてあります。 で、違和感があるのが寺号です。ここは慈眼寺のはずなのに、新長谷寺と書かれています。というのも、元々目白不動尊は文京区関口にあった新長谷寺に安置されていた仏像だからです。それがなんで今はここにあるのかというと、第二次世界大戦の空襲で新長谷寺が焼けてしまい、たまたま無事だった不動明王像とともに金乗院へ合併したからだそうです。なんか戦争の痛ましい歴史とともにあった不動様ですね。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
