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赤城神社 [戻る]【住所】 東京都新宿区赤城元町1-10 【主祭神】岩筒雄命、赤城姫命 【創建】 伝・正安2年(1300年) 【例大祭】9月19日 【末社】 赤城出世稲荷神社・八耳神社・葵神社 【社務所】あり 【ご神職】所在 【授与品】御守、御札、各種絵馬、木札、狛犬置物、御札立て、おみくじ、御朱印 【駐車場】要予約 【最寄駅】東京メトロ東西線 神楽坂駅 都営大江戸線 牛込神楽坂駅 JR中央総武線 飯田橋駅 【HP】 https://www.akagi-jinja.jp/ 【御由緒】 伝承によれば、正安2年(1300年)、後伏見天皇の御代に、 群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、 本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。 その後、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を 寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、 さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。 この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたります。 天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、 「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称されました。 この三社による祭礼の際における山車、練物等は江戸城の竹橋から内堀に入り 半蔵門に出ることを許されていました。 その後、明治6年に郷社に列することになります。 しかし、街の発展に伴い電柱や電燈などの障害物ができたので、 盛観を極めた山車行列は明治32年の大祭が最後となりました。 HPより かなりシンプルでモノトーンの手水舎です。この時は秋だったので、七五三祝いのアピールが激しいですね。まあ、書き入れ時ですからね。 そんな手水を後にして進むと、広場の真ん中にポツンと石灯籠が立っていました。 螢雪天神だそうです。かつては鳥居脇にあったようですが、大改修に伴ってここに移されたようです。切妻屋根でなんだか神社っぽくない社殿ですね。まあ、理由があるのですが・・・。 そしてこちらが拝殿です。一応木造ではありますが、超シンプルなデザインの和モダンな社殿です。壁にはガラス窓にガラス扉が使われています。その手前には、台座がシンプルでスタイリッシュになっている狛犬も鎮座しています。まあ、このデザインセンスを見たら、勘のいい方は気づくでしょうね。 神輿のデザインとは裏腹に、現代美術館みたいな小部屋に安置されています。よく見ると背後には、火消しの頭領が使う纏(まとい)がありますね。現物を神社で見られるのは珍しい。 近くには、御神像の赤城山と大百足(おおむかで)のオブジェがあります。 赤城山は群馬県にある成層火山で、円錐形なのが特徴です。ここの頂上に火口湖があり、そのほとりに赤城神社の総本社があります。 神社であるにもかかわらず、仏像があります。そばにお寺があるので、そちらに安置されてもおかしくないですが、なぜかこの一体だけは赤城神社にあります。 その脇には北参道にあたる石段があります。そこからの眺めがこちらです。 結構長い階段で、かなり高低差があるのがわかります。境内が台地の縁にある証拠ですね。以前ブラタモリの神楽坂の回で、この崖が目隠しになることから崖下にあまり人目につくのがはばかられる遊郭が作られ、そこから料亭に発展していったと言っていましたね。プライバシーを保てるので密会するのに向いていて、政治家がお忍びで訪れることもあったとか。 そんな石段のそばには、三社式の境内社が。 八耳神社、出世稲荷神社、東照宮を合祀しています。八耳神社とは聞き慣れない名前ですが、上宮之厩戸豊聰八耳命(うえのみやのうまやどのとよとやつみみのみこと) という神様を祭っているそうです。これまた聞き慣れない神様だなと思っていたら、聖徳太子のことだそうです。一緒に大国主命も祭っているとのこと。 なので出世稲荷、東照宮も含めていずれも立身出世のご利益があり、会社員の参拝が多いようです。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
