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荏原神社 [戻る]【住所】 東京都品川区北品川二丁目30-28 【主祭神】高龗神、天照皇大神、豊受姫之神、須佐男之尊、手力雄之尊 【創建】 和銅2年(709年) 【例大祭】6月初旬の週末(天王祭) 【末社】 熊野稲荷八幡三社 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】御守、御朱印、おみくじ 【駐車場】少数 【最寄駅】京浜急行 新馬場駅 【HP】 http://www.ebarajinja.org/ 【御由緒】 和銅2年(709年)9月9日、大和国丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。 長元2年(1029年)に伊勢神宮より豊受大神・天照大神を勧請。 康平5年(1062年)、源頼義・義家は奥州安倍氏征伐に際し当社と大國魂神社に参籠し、品川の海中で身を浄める(※このことより、現在でも大國魂神社の神職は例祭のくらやみ祭に際し当社に参詣して禊を行う)。 宝治元年(1274年)に京都祇園社(八坂神社)より牛頭天王を勧請。 以降、源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け、南品川の鎮守として崇敬さる。後に現在地に遷座。旧鎮座地には今も水神の貴布彌神社(きふねじんじゃ)があるように、もとは「品川貴船社」と称す。 明治元年(1868年)勅祭社に准ぜられた(准勅祭社という)。 なお、荏原神社は品川貴船社=現荏原神社が准勅祭社に列せられたとしているが、昭和50年(1975年)に12の准勅祭社を基に定めた東京十社においては、品川神社第十三代神主小泉帯刀(准勅祭社指定当時の神主)の文書を根拠に[要出典]品川神社が列した。現在、品川神社、荏原神社とも元准勅祭社を名乗っている。 明治3年(1870年)、准勅祭社制度が廃され、改めて郷社に列した。 明治8年(1875年)、品川貴船社の名を改めて、荏原郡の名をつけて「荏原神社」に改称。 目黒川最下流が新たな河口まで直線化され、目黒川の北岸(北品川)に位置することとなった。 Wikipediaより 品川区にある荏原神社へやってきました。この日は1月2日ということで、近くの第一京浜国道(国道15号線)の歩道には多くの人だかりが。なにせ箱根駅伝の往路開催日で、ここを学生ランナーが箱根の芦ノ湖に向かって走り抜けていきますからね。 そんな第一京浜から目黒川沿いに歩いて来ると、朱塗りの和橋が見えてきます。 南岸から荏原神社へ行くための橋です。いかにも神社へ行くために架けましたと言わんばかりの、純和風デザインの橋です。しかも朱塗りなので、よく目立つ。 そして参道口へ回ると、さすがに三が日だけあって初詣に訪れる参拝客で行列ができていました。 ただ、列に並んでいると、手水に行きづらい・・・😓 ただ、資料を探したりHPを見たりしてもいつごろ建てたものかわかりませんでした。木材の色合いや社殿の建築様式からして江戸~大正の時代ではないかと推察※しますが、厳密なところは不明です。 ※権現造は江戸以降に登場する様式であるのと、昭和になると鉄筋コンクリート造が増え始めるのと、木造であっても部材がここまで古びないため 板塀の外には神楽殿もありました。そこそこ敷地の広い神社なので、ちゃんと神楽殿もありますね。後ろに小部屋を造ってありますが、恐らく楽屋・支度部屋でしょう。様式はいたってオーソドックスではあるものの、縁側が作られていてお囃子の人のスペースもとっています。 下の写真のように大小三つの祠がありますが、実際には三柱だけでなくかなり多くの神様を合祀しています。 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)天祖神社系 伊邪那美命(いざなみのみこと)天祖神社系 稲荷大神(いなりのおおかみ)稲荷神社系 応神天皇(おうじんてんのう)八幡神社系 徳川家康公(とくがわいえやすこう)東照宮系 白山姫命(しらやまひめのみこと)白山神社系 大国主命(おおくにぬしのみこと)出雲大社系 木花開那姫命(このはなさくやひめのみこと)浅間神社系 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)厳島神社系 結構いろいろな系統が混ざっていて、どの祠に納められているのかわからないですね。お狐様がいるので、中央のは稲荷神社だとわかりますが。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
