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三囲神社 [戻る]【住所】 東京都墨田区向島2-5-17 【主祭神】宇迦御魂之命 【創建】 不詳 【例大祭】4月上旬 【摂末社】恵比寿神・大国神 富士見稲荷 白狐祠 【社務所】あり 【ご神職】いる 【駐車場】なし 【HP】 https://www.mitsuipr.com/sights/spots/009/ 【御由緒】 倉稲魂命(宇迦之御魂神)を祀る。旧村社(現在はかつての小梅村にあたる地区にあるが、旧地は須崎村にあったと推測されている)。元、田中稲荷と称した。創立年代は不詳。伝によれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。 元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人宝井其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。このことからこの神社の名は広まり、松阪の豪商・三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、越後屋の本支店に分霊を奉祀した。 本来は牛嶋神社の隣にあったが、洪水で一度流され、河岸に堤が築かれることになった際に南へ少し移動した。その堤のために、対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。 Wikipediaより 今回訪れたのは墨田区向島エリアにある、三囲神社です。かつては近隣の牛嶋神社隣に建っていたそうですが、水害に伴う堤防建設によって南に移転され現在に至ります。というのも、このすぐそばに隅田川が流れており、これがよく氾濫したんですね。 そんな三囲神社を見ていきます。 まずは正面。アスファルト舗装の広場の中に、ポツンと石鳥居が立っています。その中央には古くてわかりずらくなっていますが、下乗と書かれた木の立て看板があります。要は、ここから先は神域なので畏れ多いから、乗り物に乗ったまま入ると頭が高くなるので降りよということです。 そして手前には社号碑が立てられています。 ここから石畳に沿って、中へ入ります。 またしても石鳥居が現れました。こちらの扁額にも、「三囲社」と書かれています。この神社にとって、この三囲という名が非常に重要です。 というのも、囲の字から囗を取ると、三井になることから三井高利創業の江戸の大店「三井越後屋」から氏神として厚く信奉され、現代にいたってもその後継企業である三越や三井グループから奉賛を受けています。特に三越では各店舗に分社が置かれ、参拝できるようになっています。 この後も三越関連のものが出てきますよ。 その前に、 こちらが神楽殿です。かなり年季の入った建物であるだけでなく、軒下の壁に千社札がやたら貼られています。よほど昔の人は参拝した記念を残したかったのでしょうね。 拝殿の前にお狐様がいるのは主祭神が宇迦御魂之命で、この神社がお稲荷さんだからです。なので、三囲稲荷の別名でも呼ばれていたそうです。しかも稲荷神は商売繁盛の神様でもあるので、尚のこと三越にピッタリだったので贔屓にされたのでしょう。 社殿の奥の方にもまだまだ史跡や境内社があるようなので見に行きます。 まずはこちら。 一勇斎歌川先生墓表(歌川国芳顕彰碑)です。幕末に人気を博した浮世絵師、歌川国芳の供養のために立てられました。歌川と名のつく浮世絵師といえば歌川広重(安藤広重)が有名ですが、それに負けず劣らず知名度が高かったのが国芳です。 詳しくは下の説明をお読みください。 この三柱鳥居は珍しいデザインですが、井戸を守る際によく使われます。都内だと新宿にある成子天神社の井戸にも、このタイプの鳥居が建てられています。 後で調べたら、白狐祠というようです。なるほど、どおりでお狐様がいて、鳥居も赤いわけだ。 奉拝の字に隠れているハンコには、角田川~とあります。隅田川の異字体で、下の方は続け字になっていてよくわかりません。 中央のハンコには、三圍神社と書かれています。めぐりの字が囲ではなく圍なのは、旧字体だからです。頑なに圍の字を使い続けていたら、三井家は興味を持たなかったかもしれないですね。 最後に左下のハンコ。巾着袋のデザインをした縁の中に「三囲社 隅田川 恵比寿 大ふく 七福の内」とあります。隅田川七福神の内、恵比寿様と大黒様を祭っていることを表しています。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
