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岩殿城(御城印) [戻る]【指定】 山梨県指定史跡 【住所】 山梨県大月市賑岡町 【最寄駅】 JR中央本線、富士山麓鉄道線(富士急行) 大月駅 【構造】 連郭式山城 【築城主】 小山田氏 【築城年】 1530年代 【主要城主】小山田信有、小山田信茂 【廃城年】 17世紀初頭 【概要】 岩殿城(いわどのじょう)は、山梨県大月市賑岡町にあった山城。標高634メートルの岩殿山に築かれた。甲斐国都留郡の国衆小山田氏(元々は町田市小山田の発祥とされる)の居城とされ、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られた。 今回はいつもと趣向を変えて、御城印を頂戴しに参ります。要は、お城ですね。その記念すべき第1回は、山梨県大月市駅前にある「岩殿城」(いわどのじょう)です。里帰りの際に電車や高速バスで必ず大月を通過するので、その度に岩殿城を目にしていました。 その岩殿城の朱印があるとのことで、行ってみます。 とういうことで、大月駅のホームからスタートします。今私が立っているのは、JR中央本線の3番線下りホームです。上下線共用の4番線ホームには現在の中央東線の主力普通電車211系長野色が停まっています。 大月駅といえば、オレンジのカラーの中央快速線終着駅だったり、富士山・河口湖方面へ向かう私鉄の富士山麓鉄道(富士急行)との乗換駅だったり、甲府・松本方面の特急あずさ・かいじと富士急乗り入れの特急富士回遊の増解結が行われたりと、地方駅にしては結構慌ただしいです。まあ、最近はインバウンド需要もあって外国人もかなり増えましたし。 そんな大月駅の先に岩山が見えますが、あれが岩殿城です。最近、大手ビジネスホテルがそびえ立つようになってしまったので、一部隠れてしまって残念ですが・・・。 そこで大月駅を出て、旧甲州街道沿いに歩いてみます。 すると、空き地のお陰で視界の開けたところがありました。このように頂上付近に大小二つの一枚岩の崖がそびえています。これが岩殿城の最大の特徴で、鉄壁の守りになっています。もう、この岩山を見ただけでも攻めるの気が引けてしまいますね。 さらに近づくと、国道139号線の高月橋に到着しました。この橋は相模川の本流上流部にあたる桂川に架かる橋で、ここから下をのぞくと・・・ このように険しくも美しい峡谷になっています。水も澄んでいて、山水画のような景色が広がっています。 ちなみに、ここから一駅分下流へ行くと、日本三奇橋の一つに数えられる「猿橋」があります。この橋は江戸時代に浮世絵の題材にもなった有名な橋で、より絶景を楽しめます。 その高月橋を渡って少々行くと、ついに見えました! 岩殿城跡入口 ここからが本格的に入口で、えっちらおっちら山道を登ることになります。なにせ看板に登山口って書いてありますからね。標高は1000m以下なので低山ではありますが、地元山梨県民が「あっこに登るのはえらいぞ!」と言うくらい県内では険しいことで有名な山なので、ちょっと覚悟が要ります。 そして登り始めてすぐに、注意看板が。 熊が出るらしいです。もう、田舎の山あるあるですね。特にここ近年は猟友会メンバーの高齢化と過疎化が相まって狩猟を行う人が減っているので、野生の獣の天敵がおらず数を増やしているんですよね。そのため山だけでは食料をまかないきれず、里にまで下りてくる熊がいるんです。地元に自治体は獣を捕獲したら補助金をくれるので、誰か猟友会に加入してあげてください。 そんな登山道を見下ろすと、眼下には交通量の多い大きな道路が。 中央自動車道、通称中央道。本州内陸部を横断する、日本の大動脈です。この中央道が岩殿山の下を通っています。大月は桂川によってできた谷間の街なので、平地がとにかくないんですよね。その結果、主要な鉄道、国道、高速道路が所狭しと集まっているので、こんな山の下に通さざるをえなかったわけです。 ようやくお城らしいものが現れました。復元された冠木門です。多分史実に乗っ取ってないかもしれませんが、ちょっと山城らしい雰囲気を出そうとしてる感はあります。 その横にはこの岩殿山についての説明看板があります。小休止を兼ねて読むのがいいかもしれません。 この岩殿山は桂川の渓谷を挟んで甲州街道の大月宿を見下ろす高台となっていて、南側には先ほど見た一枚岩の大きな崖が天然の防壁となっている、山城を作るにはピッタリの場所だったんです。そこに目をつけたのが小山田氏で、ここに岩殿城を築城し郡内地方の領有を確立していったのです。 そんな冠木門をちょっと行った先には、小さな祠がありました。 ちょっと古そうな感じですが、名前がないので何の神様かわかりません。登山者が納めたであろう小石が山積みとなっていて、なんとなく賽の河原っぽくなっています。 そんな祠を尻目にしばらく急な坂道を登り続けると、看板が見えてきました。 公園とあるので、そろそろ目的地に到着のようです。この日はピーカン照りだったのもあって、春なのに暑くてしんどかった~。 こういう建物があるだけで、グッと雰囲気が出ますね。この屋根は銅板葺きになっていますが、恐らく当時は板葺きか檜皮葺きだったと思います。ではでは、曲輪の中へ入らせていただきます。 すると、その奥には・・・ 二層の櫓が建っていますね。実際にここにこのような櫓が建っていたいたのかどうかは不明ですが、あると山城らしさが出て格好よくなりますね。 この櫓は岩殿山ふれあいの館というそうで、中へ入って拝観できるみたいですが、その前に周辺を散策します。まずはこちら。 この小さく盛り上がっているところが、先ほどの看板にあった丸山です。お城があった当時は物見に使っていたようで、ここから街道を通ってくるものを見張っていたようです。 左サイドにライトがずらりと並んでいるので、どうやら夜間に岩殿山ふれあいの館をライトアップするようです。闇夜に浮かび上がる山城の櫓。なんかちょっと禍々しそうです。 その横には、大きな石碑が立っていました。 乃木大将の登頂記念碑だそうです。乃木大将(乃木希典)といえば、日露戦争における旅順攻撃の際、203高地を攻め落として陥落を決定づけさせた軍人として有名です。この旅順陥落がその後の日本海海戦や奉天会戦にもつながっていくので、立役者の一人とされています。そんな乃木大将も岩殿山に来たそうで、その記念碑が作られました。 では、丸山に登ってみます。すると、こんな景色が広がっていました。 眼下に大月の市街地が見えます。折り重なる峰々の先に、霊峰富士が薄っすら見えます。お城から富士山が見えるっていいですね。せっかくの晴天でもあったので、ここのベンチに座ってお昼をいただきました。富士山を見ながらのランチは最高でした。 ここから振り返ると、全く異なる景色になっています。 ふれあいの館の背後に鏡岩がそそり立っています。なかなかスリリングな光景です。実際にはこのてっぺんに城があって、そこから攻撃を仕掛けてくるわけです。ここからだと攻め手は何もできないですから、やられる一方です。いや~、嫌な城ですね。 この後、ふれあいの館にも入りましたが、中は資料館になっていました。地下は地元の写真家白旗史朗氏の富士山の写真が展示されており、2階は岩殿城と小山田氏の資料が展示されています。1階は事務所です。 で、御城印なのですがせっかくふれあいの館まで登ったのに、ここでは配布していないとのことでした。え~! じゃあ、どこでもらえるのかというと、大月駅前の観光案内所。 戻らなきゃいけないんかい! というわけで、大月駅まで戻ってきて観光案内所へ飛び込みました。すると、レジのカウンターに何種類もあって、どれにしようかちょっと迷いました。その中から2種類いただきてきました。 まずはこちら。 ふれあいの館と鏡岩のイラストが入ったバージョンです。家紋は城主の小山田氏のものだと思います。関東三名城と書かれていますが、ホントかいな?と思います。本当にランクインしているのか、ちょっと疑わしい。大永七年築城も正確かどうかはわかりません。 ただ、イラストを家紋が入っているのは格好いい!飾っておきたい一枚です。 続いてはこちら。 小山田左兵衛尉信茂の朱印です。武田二十四将の一人で、武田信玄の配下として付き従った武将です。錦絵の他に、当時のサインにあたる花押も書かれているのがミソです。 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |
