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梨木神社 [戻る]【住所】 京都府京都市上京区寺町通広小路上ル染殿町680 【主祭神】三條實萬、三條實美 【創建】 1885年(明治18年) 【例大祭】4月18日・10月10日 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】御朱印、御朱印帳、御守、御鈴 【駐車場】3台 【HP】 https://www.nashinoki.jp/ 【御由緒】 当社は、明治18年10月に三條實萬公を御祭神として創建、別格官幣社に列せられ、大正4年の大正天皇即位式にあたり實萬公の御子實美公が第二座御祭神として合祀されました。 梨木神社という社名は旧地名の梨木町に由来し、転法輪殿(三條家嫡流の邸)は梨木町西側に位置していました。 三條家は五摂家に次ぐ公卿最高の名家で、代々質素清廉を旨とし清貧に甘んじて学を修め徳を養うということが家風であり、すぐれた歌人、学者など賢才偉人を続出した家です。中でも實萬、實美両公は殊に傑出した方であったといわれます。 両公は、学問・文芸の神様として崇敬を集めており、境内にはその御神威にふさわしく江戸後期の国学者で『雨月物語』の著者である上田秋成翁や、日本最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の歌碑が建立されています。 拝殿のかたわらにある天壌無窮の石碑は、實萬公が天壌無窮の神勅を軸に書かれ、日夜皇室の弥栄をご祈念されていた文字を石に刻んだものと伝えられています。 明治天皇はこのことをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、2月11日の今の建国記念日にお居間に掲げられ、国家の弥栄、国民の安泰をご祈念されたといわれています。 当社境内辺りは、平安時代前期に臣下として最初に摂政に任じられ藤原北家全盛の礎を築いたとされる藤原良房の邸「染殿第」があった場所とされています。 染殿第は、良房の娘明子(あきらけいこ・文徳天皇の后で清和天皇の生母)の御所としても使われ、当社の手水舎に現存する「染井」は宮中御用の染所で用いられていたといわれています。 また、京都御所の東側は公家衆屋敷が建ちならび、当社と御所の間にある梨木通りは、朝夕参内する公卿たちの参内道であったといわれています。 当社は別名「萩の宮」とも称され、境内には萩が咲き誇り古今を通じて和歌が詠まれてきました。 現在も京の萩の名所として、参拝者の目を潤す場所となっています。 HPより こちらの神社は旧三条邸に建つ梨木神社です。明治維新およびその後の明治政府において太政大臣として影響力を持った、三条実美公を輩出した公家です。その幕末の三条家の名士を祭るのがこの神社です。それ故、創建が1885年と神社としては非常に新しく、とりわけ古い神社の多い京都にあって異色の存在です。 ただ旧三条邸ということもあって立地は素晴らしく、西隣は京都御所、東隣は旧紫式部邸の蘆山寺と、これまた高貴な方々のお屋敷に挟まれた格好になっています。 というわけでまずは一の鳥居から見ていきます。はい、どん! とまぁ、鳥居の下に石畳があって、それが途切れてますよね。よく見ると背後に大きな建物が。まあ、そうなんですよ。参道の途中に低層ではあるものの、マンションが建っちゃってるんですよね。 実はこの神社、新聞のネット版で記事になりまして、経営が厳しいからということで境内にマンションを建てまして、不動産収入で生き延びようと試みているんですね。ただこれが計画の段階で神社本庁の耳に入りましてマンション建設差し止めを求められたものの、梨木神社としては神社単体での収入だけではやっていけず背に腹は代えられないということで、神社本庁を脱退して建設に踏み切った訳です。 実はマンション建設に踏み切った神社と言うのは他にもあります、建築家隈研吾氏設計の社殿で知られる東京神楽坂の赤城神社は社務所兼用のマンションを建て、新宿一の高さを誇る富士塚が残る成子天神社に至っては境内の西側にタワーマンションを建設しました。 まあ、どこも生き残りで必死ですよ。 なので、このマンションを迂回して北へ回ると、現在の入り口と二の鳥居が見えてきます。 こちらが二の鳥居で、ここから先は拝殿まで真っ直ぐ参道が伸びているので、神社の中を散策することができます。ちなみにこちらの鳥居、一の鳥居と石造りという点では一緒なので代わり映えが無いように思いますが、扁額が異なっておりまして金色にグレードアップしております(一の鳥居の扁額は青銅製)。 参道も先ほどのただの石畳から変わりまして、菱形の飛び石風へとチェンジしております。 では鳥居をくぐって中へ入ります。すると・・・ まず最初に現れるのは、日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹物理学博士の歌碑です。日本の物理学の先駆者として名高い湯川秀樹先生ですが、和歌もたしなまれていたとは驚きです。 そこから前を向くとこんな感じで真っ直ぐ参道が北へ伸びています。境内がかなり細長い神社なのもあって、先が見えないくらいかなり長く感じます。石畳があるせいでより長く見えますね。 この参道沿いに社務所、授与所、参集殿があります。しかもここの参集殿の広間には能舞台もあるそうで、申し込みをすればそこのなかで元服の儀(成人になるための儀式)もさせてくれるそうです。さらに境内にはカフェもあり境内に木々やお庭を見ながら、静寂のひと時を過ごすこともできます。 ところでこの参道の両脇にたくさん植木があるのですが、その中でも萩が特に多いそうです。秋になると小さな赤い花が房になって咲くところがキレイな木です。そのことからこの梨木神社は通称「萩の宮」とも呼ばれているそうです。私が行った時は春の半ばだったので、花を見ることはできませんでしたが・・・。いつか秋の京都を満喫しに来ようと思います。 そして長い参道をえっちらおっちら歩いていくと、ようやく神門が現れます。そんなに大きな門ではありませんが、すだれのかかった京都らしい風情ある門です。 京都ではよく見ますねこの配置。参道をぶった切るように神楽殿のような拝殿が建っているの。関東だったら鎌倉の鶴岡八幡宮くらいしかないんですが、京都だと八坂神社とか上御霊神社とか松尾大社とか今宮神社とか伏見稲荷大社とか、ほんと謎です。 最後に中門です。この奥に本殿があります。本殿と拝殿がセパレートになっていて、しかもその間に中門が挟まっている特殊な配置です。要は中門が、一般的な神社の拝殿の役割を果たしているという。まあ、あまり見ないですよね。しかもさほど大きくはないので、団体での参拝は難しそうです。 ところで梨木神社のご利益ですが、詩歌に秀でた三条實萬公、實美公を祭っていることから、学問成就、文才上達だそうです。ということは、受験生にとっては持って来いの神社ですね。 では最後に御朱印をご紹介します。 奉拝の筆は無し(書き忘れ?)右上の紋は藤原北家閑院流三条家の家紋で、当神社の紋でもあります。梨木神社の判が中央と左下に大小入っています。男性のご神職さんが書いたせいか、力強いハッキリとした筆跡です。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |