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銀杏岡八幡神社 [戻る]【住所】 東京都台東区浅草橋1-29-11 【主祭神】誉田別皇命、武内宿祢命 【創建】 康平5年(1062年) 【例大祭】5月下旬~6月上旬 【末社】 此葉稲荷神社 【社務所】あり 【授与品】御札、御守、御朱印 【最寄駅】JR中央総武線 浅草橋駅 都営浅草線 浅草橋駅 【HP】 https://ichohachiman.or.jp/ 【御由緒】 1062年(康平5年)に創建された。源義家が前九年の役で出征する途上、当地で休憩のため陣を敷いた。すると川上から銀杏の枝が流れ着いた。義家は「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と戦勝祈願し、その枝を丘の上にさした。そして戦争に勝利し、帰還の途上で当地に立ち寄ると木が茂っていたので、義家は神恩に感謝して八幡神を勧請した。これが当社の起源であり、社名の由来でもある。 ちなみに、この銀杏の木はやがて大木となり、旅人の目印にもなった。しかし1745年(延享2年)の台風で上半分が折れ、1808年(文化3年)の文化の大火で完全に焼失してしまい、現存していない。 江戸時代前半は、福井藩越前松平家の江戸屋敷の敷地内にあり、屋敷神となっていたが、1725年(享保10年)に幕府によって接収された。旧屋敷跡地は「福井町」と称する町人地となり、福井町住民が当社の氏子となった。 氏子区域は台東区浅草橋1丁目2~6、9~36、浅草橋2丁目1、3~7、9~13、15~19。なお、1丁目9、10、17、18、30、2丁目1、12、13はその一部が氏子区域である。 Wikipediaより 人形店、手芸用品店、アクセサリー用品店、梱包材店が建ち並ぶ、浅草橋界隈。JR総武線の駅そばに建つのが銀杏岡八幡神社(いちょうがおかはちまんじんじゃ)です。江戸通りから一本奥の路地へ入る道の突き当りに、目印となる鳥居が建っています。 日本人形の街らしく、神社の周囲にも何軒か人形店があります。まあ、人形も桃の節句や端午の節句で欠かせないので、結構神道とのつながりがあります。特に、多くの武士が八幡神社を厚く崇拝したため、甲冑飾りとの縁が深い傾向があります。 その鳥居の奥にある長い蔵造の建物が神輿庫です。重厚な鉄扉で閉め切られていて、中をのぞくことはできません。例大祭の日までお預けです。 そんな神輿庫の陰に隠れて建つのが、此葉稲荷神社です。 一応、この神社唯一の境内末社で、稲荷神社よろしく社殿、玉垣、鳥居、のぼりと赤で統一されています。ただ、鳥居の形が稲荷式ではなく、神明式なのが特例となっています。 しかも、唯一の末社であるはずなのに、右手にはもうひとつ祠が。 恐らくは此葉稲荷神社の元宮ではないかと思われます。昔はこちらの社殿を用いていたのでしょうが、新たにひと回り大きいものを新調したのでしょう。でも、古いのを壊すわけにもいかず、こちらに置いといてるのではないかと。 此葉稲荷神社のそばには、手水舎があります。 近年作ったっぽい感じがします。コンクリート造ではあると思いますが、石板を張り付けた手水鉢と一体化したデザインになっています。 背後には昔はなかったはずの竹垣も作ってあって、見違えるようにきれいになってます。左隣にある若木は桜だそうです。最近植樹されたようで、舞姫と名付けられています。 周囲にもイチョウの木が何本かあり、名実ともに銀杏の神社となっています。 奥に見える建物は宮司さんたちが住んでいる社務所兼住居です。現在は授与所のカウンターが増設され、御守、絵馬、御朱印、御朱印帳の配布がよりしやすくなりました。しかも、玄関先には金魚鉢とメダカの水槽があり、水草の中をたくさんの魚が泳いでいました。 社名に銀杏とあることから、軒下には銀杏紋の入った垂れ幕が掛かっています。建物は見た感じ昭和の中頃一般的だった様式を備えているため、そんなに古いものではなく再建されたものかと思われます。車寄せのところにおみくじも置いてあります。 特徴は何といっても、名前にある通り銀杏の絵柄です。しかも写真を見ての通り、2枚を並べた時にピッタリ合って続きになるようにしています。さらに、銀杏岡八幡のほうは銀杏紋も入っていて、よりイチョウにフォーカスしています。 此葉稲荷のほうは、中央に火焔の伴った宝珠のハンコが特徴的です。これってむしろ仏教で見られるデザインなのに、なぜ稲荷神社で用いているのかは謎です。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ 上に戻る |
