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野宮神社 [戻る]【住所】 京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1 【主祭神】野宮大神(天照皇大神) 【創建】 (根拠不明)大同4年(809年) 【例大祭】春5月第3・4日曜 秋10月第3日曜 【末社】 愛宕大神、白峰弁財天、野宮大黒天、龍神、白福稲荷大明神、大山弁財天、不明社2棟 【社務所】あり 【ご神職】いる 【授与品】御朱印、御守、ストラップ、ステッカーなど 【駐車場】なし 【HP】 http://www.nonomiya.com/ 【御由緒】 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。 嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。 野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。 そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。 黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。 今回訪れたのは野宮神社です。綴りは野宮ですが、読みは「ののみや」です。ちなみに、所在地名は嵯峨野々宮町(敷地の半分は嵯峨天龍寺立石町の域内)と野と宮の間に「々」の字が入ります。その野宮神社についてご紹介します。 野宮神社は、撮影スポットとして世界的に有名な嵐山の竹林のど真ん中にあります。恐らく車両の進入はNGと思われます。ただ人力車だけは時折通交し、竹林内に何ヵ所か人力車専用通路があります(人力車専用路は一般人の通行不可なので日中でも無人の竹林の撮影ができておススメです)。 そんな竹林を進むと入口が見えてきます。 神社前に着きました。自然石を使った緩やかな石段が目印です。竹林同様周囲を柴垣が囲んでいて京都らしく、景観保持をしています。竹林を見に来たついでに立ち寄るのか、意外と外国人を含めて参拝者は多い印象です。 中に入ると、参道は無くいきなりちょっとした広場になっていて、そこに拝殿が立っています。特別大きい訳ではなく、全体的にシンプルな造りのようです。 異色なのはこの神社は天照大神をお祭りしている神社なのですが、稲荷神社みたいに朱色の板垣や灯篭があって、京都らしい風情があります(伊勢神宮、天祖神社、神明宮系の神社は基本的に白木の社殿を用いる)。写真にも写っていますが、どうも皇嗣の秋篠宮殿下と宮妃紀子様もご参拝されたようです。御祭神が天照大神ということで、天皇家のご先祖様をお祭りしている神社なので、何か縁があったものと思われます。 さらに境内には摂末社もいくつかあります。 こちらは白福稲荷神社です。白という字が入ってますが、思いっきり赤いって「どこが白やねんっ!」とツッコみたくなります(笑)。多分、神様の御心が真っ白で清らかなんだと思います。多分ね・・・。 その隣には、 大山弁財天社があります。弁財天は弁天とも言い、元々はバラモン教の神様であるサラスヴァティですが、それが仏教に転用されて弁才天となり、さらに日本で神仏習合に伴い神社でも多く祭られるようになりました。ちなみに本来の漢字表記は弁才天で、後に財運招来のご利益も与えるべく財の字を充てるようになりました。 じゅうたん苔と呼ばれる苔の庭が広がっています。苔の庭と言えば苔寺が有名ですが、こちらの苔もかなりのものです。中央には可愛らしい石の太鼓橋が架かり、枯山水みたく水を表す砂利が敷かれています。その奥には石灯籠があり、これぞ日本の庭園といった風景を作り上げています。 最後に御朱印をお見せします。こちら野宮神社は参拝者が多いせいか御朱印帳への記帳は受付ておらず、書置きのみでの配布でした。それがこれです。 ハンコのみです(涙)。神様に文句は言えませんが、日付くらいは自筆で入れて欲しかった。その一方で嵯峨野めぐり第一番祈願所ということで、かなり格の高さを感じます。ただ、一筆うううううっ・・・。 ついでに行きたい近くの寺社 注目の記事 さらに運気アップ!開運LINEコンテンツ |